パンフレットの、補充
ラックの減り方は、町の人気投票だ

ヒラギノマチ(53歳・駅前観光案内所25年)

私は旅をしない。駅前の観光案内所に二十五年いて、旅に出る人の最初の十分だけを毎日見ている。けれど、その人たちが何を欲しがっているかは、人の顔よりも先に、ラックが教えてくれる。朝、出勤して最初にすることは、夜のあいだに減ったパンフレットの段を見ることだ。減り方には、いつも偏りがある。

窓の外には冷たい雨が降っていて、案内所の中には紙とインクの匂いが静かに満ちていた。そんな日でも、ラックの減り方だけは変わらない。いちばん上の段、目の高さに置いた「食べ歩きマップ」が、いつも最初に空く。次が「日帰り温泉」。観光協会が肝煎りで作った「歴史散策コース」は、いちばん良い場所に挿しても、なかなか減らない。作る側の願いと、旅人の足は、別の方向を向いているのだろう。

補充は、減った束の数だけする。朝、私は倉庫から束を抱えてきて、空いた段を埋める。食べ歩きマップは三束、日帰り温泉は一束、歴史散策コースは、月に一度足すか足さないか。補充の頻度が、そのまま町の人気投票になっている。誰も票を入れているつもりはないのに、抜き取られた一枚一枚が、票だ。私はその票を、毎朝かぞえているのかもしれない。

季節ものの入れ替えには、判断がいる。紅葉のパンフレットを、いつ仕舞って、桜のに替えるか。早すぎれば気が早いと笑われ、遅すぎれば散ったあとの紅葉を勧めることになる。私は色づきの便りと、ラックの減り方の両方を見て決める。紅葉が減らなくなった朝が、仕舞いどきだ。人の足は、暦より少し早く季節を見限る。

廃刊になるパンフレットには、最後の一束がある。発行が止まると決まったものは、もう補充されない。だんだん薄くなっていって、ある朝、最後の一枚が抜かれて、段が空く。私はそこに別のものを挿しながら、空いた幅の分だけ、町から何かが一つ消えたような気持ちになる。最後の一束を抜いていったのが誰だったのかは、もう分からない。

手に取って、戻されたパンフレットは、位置がわずかにずれている。きっちり挿し直す人はいない。少し斜めになって、隣との間隔が狂っている。そのずれが、検討の跡だ。広げて、迷って、今日はやめておこう、と戻した。私は朝、そのずれを直しながら、ゆうべここで一つ、行かなかった旅があったことを知る。

困るのは、「この店、まだあります?」と聞かれたときだ。パンフレットに載っている店を指さして、客が聞く。私は、答えられないことがある。そのパンフレットが二年前の刷りで、その店がもう閉まっていることを、私が知らないからだ。情報は、印刷された瞬間から古び始める。閉店した店の載った頁を、私は知らずに客へ渡し続けていたのかもしれない、と思った。

新しいパンフレットは、段ボールで納品される。封を切ると、刷りたての匂いがする。私はその束を、まだ誰の手にも触れられていないうちに、ラックへ挿す。明日の朝には、何枚か減っているはずだ。どれが減るかは、もう分かっている。それでも私は、減らない段にも同じだけ、丁寧に挿す。

ラックは、町の人気投票なのだ。誰も投票しているつもりはないのに、減り方が票を数えている。私は二十五年、その票をかぞえ、補充し、季節を入れ替え、最後の一束を見送ってきた。旅をしない私にできるのは、人の足が向く方向を、紙の減り方から読み取ることだけだ。そうやって私は、行かない旅の人気を、毎朝知っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。