セリの、指(第二稿)
見習いを終えて初めてセリで指を立てた朝

ヒラノソウイチ(67歳・市場仲卸45年)

セリ場では、値段を声で言わない。指で言う。手やり、という。胸の前で、競り人にだけ見える角度で出す。隣の男に悟られたら張り合いになるから、手のひらで半分隠して出す。一は人差し指。二は人差し指と中指。五で手をぱっと開く。千の位は指を立て、万の位は手の甲を返して立てる。同じ二本指でも、向きで二千にも二万にもなる。

昭和五十六年の春、見習いを三年やって、親方が「もう出していい」と言った。初めて買う側に立った朝、競り人が台に上がって鯛の箱を読み上げた。あの歌うような節だ。手のひらが汗で滑った。隣で親方の手が、私の手と同じ高さに浮いていた。

二千円で行くつもりだった。人差し指と中指を立てて、手の甲を上に向ける——そのつもりだった。指が先に動いた。立てた二本の甲が、上を向いていた。万の位だ。二万円。出しかけた手首を、横から掴まれた。親方だった。競り人に見えないよう、私の手をぐっと下に押し下げた。骨が鳴るくらいの力で、何も言わなかった。

鯛は別の店が一万二千で落とした。私が二万を競り人に読まれていたら、相場より八千高い鯛を一箱、背負っていた。一箱二十尾として、一尾四百円の損。その日の店の鯛の儲けが全部消えて、なお足が出る。掴まれた手首の中で、私はその計算をしていた。心臓ではなく、指が震えていた。

セリが一段落して、親方が短く言った。「指は口より早い。けど、口より取り消せねえ」。声なら「今のは違う」と言える。だが競り人が指を読んで手を打てば、もう買ったことになる。あとで「間違えました」は通らない。甲を返す、その一動作が値段だった。

その朝から、私は人の指を見るようになった。本当に欲しい魚があるとき、男は出すまいとする。それでも甲がわずかに早く返る。私はいつも、本命の魚が出る前に、誰の甲が浮くかを見ていた。札を受け取って魚を引きながら、横目で隣の手元を盗み見た。指は顔より正直で、顔より早い。

いまは電子セリが入って、ボタンを押すと数字が画面に出る。手やりを使う場所は減った。それでも先週、若い衆が魚の箱の前で、手の甲を返して二万を出すのを見た。私は店の方を見るふりをして、その甲が、本命の前でほんの少し早く浮くのを、最後まで盗み見ていた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。