核は強い。ブリの値が日を追って坂を上り、三十日の朝がてっぺんで、買い手は「正月だから」と承知で値切らずに手を打つ——この値段の年末曲線が、このエッセイの背骨だ。丸ごと一本のブリが切り身四切れのトレーに変わった四十五年の変化も効いている。元日のがらんとした競り場が体育館に見える一行も、本物だ。問題は、書き手がその強い核の周りに、生成文のお決まりの飾りを巻きつけてしまっていること。とりわけ、値段という数字に厳密なはずの仲卸を語り手にしながら、肝心のところで数字をぼかしている。市場の人間が市場の手つきで嘘をつくと、全部が嘘に見える。
「年の瀬の活気が市場いっぱいに満ちて、誰もが浮き立っている。」
「年の瀬の活気」「いっぱいに満ちて」「誰もが浮き立っている」。これは年末を描くと自動で出てくる三点セットで、デビュー作「セリの、指」の講評で一度叩いたはずの病が、また顔を出している。四十五年この二日間に立ち会った人間なら、出てくるのは「活気」という総括語ではなく、通路を塞ぐ樽の数か、ぶつかる台車の音か、足の踏み場のなさのはずだ。次の段の「数の子の樽が通路の端まで列を作る」は具体で、こちらが効いている。冒頭の抽象は、その具体に食われて要らない。
「さばける手が、町から減ったのだろう。」「町が正月を迎える支度を、その手前で全部引き受けている場所なのだと、いまになって思う。」
仲卸は値段を断定で生きている職業だ。一円高い安いを指で決めてきた人間の回想が「〜のだろう」「〜と思う」で柔らかく閉じるのは、人物の述懐ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに「さばける手が減った」は、推量で逃げる必要がない。丸ごと一本を売った客が何人から何人に減ったか、この語り手は店の伝票で知っているはずだ。数字を出せる人物に推量させてはいけない。
「十二月の頭で一本いくら、二十日でいくら、二十九日でいくら——同じ魚が、日を追うごとに値を上げていく。」
これは致命的だ。値段の年末曲線がこのエッセイの核なのに、その曲線に一つも数字が入っていない。「いくら」「いくら」と伏せたまま坂を語っても、坂は立ち上がらない。仲卸の語りなら、ここは数字でなければならない。頭で一本三千円だったブリが、三十日に七千円、八千円になる——そう書いて初めて、買い手が値切らずに手を打つ重さが出る。職業の核心で数字を伏せるのは、目利きが「なんとなく」と言うのと同じ嘘だ。
「切り身が、白いトレーに四切れ、ラップで包まれて出ていく。」
方向は正しいが、観察が一段浅い。「白いトレー」「四切れ」「ラップ」はスーパーの記憶であって、年末の仲卸の店先の記憶ではない。本当にその変化を毎年見てきた人間なら、丸ごと一本を背負った客の背中の沈み方や、切り身を受け取る客の手の軽さ、あるいは「頭はいるか」と聞いて「いらない」と返される回数の増え方——買う側の体の変化が出るはずだ。物の名前を並べただけでは、変化は見えていない。
「その音を聞くと、ああ今年も始まったと、背筋が伸びる思いがするのだった。」
初競りの手締めは、テレビのニュースで誰もが見る画だ。だからこそ、この語り手にしか書けない初競りを書かないと、ニュース映像のなぞりになる。「背筋が伸びる思い」は紋切り型で、誰の背筋でもいい。仲卸にとってのご祝儀相場は、感慨ではなく実務のはずだ——あの値で落ちたマグロを、誰が、いくらで、どこの料理屋に流すのか。祝儀の数字の裏で動く現実を一行入れれば、この段は語り手のものになる。
「市場というのは、町の台所なのだ。町が正月を迎える支度を、その手前で全部引き受けている場所なのだと、いまになって思う。」
「市場は町の台所」は、市場を語るとき誰もが貼る最大級の紋切り型だ。しかも、このエッセイは「年末の二日で町の正月が全部通り過ぎる」という冒頭で、すでにそれを動作と数字で言ってしまっている。最終段でそれを抽象語に言い直すたびに、冒頭の具体の値打ちが下がる。主題を主題文として書いたら、それはエッセイではなく、エッセイの要約だ。除夜の鐘を片づけをしながら聞く一行は本物なのだから、そこで止めればいい。
「魚を渡しながら、その家の一年を、勝手に読んでいる。」
狙いはいい。だが「その家の一年を勝手に読む」は、床屋の回想にも、酒屋の回想にも、そのまま置ける汎用文だ。直前に「去年より痩せたな」「今年は奥さんが来たな」という具体があるのだから、総括の一文は要らない。むしろ、読み取った具体を一つ深くする方がいい——去年は二本買った家が今年は一本になった、喪中の葉書みたいに、とか。読み取りの中身を書けば、総括は不要になる。
残すべきは四つ。日を追って坂を上るブリの値段(ただし数字を入れること)、丸ごと一本が切り身トレーに変わった四十五年の変化(買う側の体の変化として書くこと)、元日のがらんとした競り場が体育館に見える一行、そして除夜の鐘を片づけをしながら聞く年越し。削るべきは、冒頭の「年の瀬の活気」、留保語尾、初競りの「背筋が伸びる思い」、そして最終段の「町の台所」の主題解説。改稿では、値段曲線を実数で立て、変化は物の名前ではなく客の背中で書き、最後は鐘の音で止める。意味は数字と動作が運ぶ。総括語が運ぶのではない。