ヒラサワダン(52歳・シロアリ防除30年)
シロアリ防除の仕事を三十年続けている。床下に潜り、土台を食う虫を探す。人が一生で一度も覗かない場所――家のいちばん下の暗がりへ、毎日のように匍匐前進で入っていく。
シロアリはめったに姿を見せない。光を嫌い、巣から餌場までを土で覆ったトンネルの中だけを進む。それが蟻道だ。一九九六年、二十二歳でこの会社に入った。最初の半年は、潜るだけで精一杯だった。基礎と地面の隙間は低いところで三十センチもない。肘に当たる土は冷たく湿っていて、ヘッドランプの丸い光の外は、奥へいくほど何も見えなかった。
親方は無口な人だった。床下から上がってきた私に、一度だけこう言った。「シロアリは姿を見せん。見せるのは道だ。蟻道を読めたら、半人前は卒業だ」。それきり、読み方は教えてくれなかった。
蟻道は、基礎を這う土の管だ。鉛筆ほどの太さで、赤土の家もあれば、黒っぽい土の家もある。新しい蟻道は湿って、爪を立てると崩れて中の虫が顔を出す。古い蟻道は乾いて白茶け、空っぽのことが多い。どこから来てどこへ向かうか。太いか細いか、湿っているか乾いているか。一本の筋に、被害がいまも進んでいるのか、もう通り道を変えたのかが書いてある。
木を食われたかどうかは、叩けばわかる。健全な柱は詰まった音で返すが、中を食われた材は、ぽこ、と乾いて鳴る。空洞の音だ。怪しい材にドライバーを当てて押すと、表の数ミリを残して中身のない柱は、すっと刃が沈む。表は何ともないのに、中だけがない。
春は電話が鳴り続ける。羽アリの季節だ。床に黒い羽アリが湧いた、と人は慌てる。だが触角がくの字に折れていればクロアリ、まっすぐな数珠ならシロアリ。腰がくびれていればクロアリ、寸胴ならシロアリ。四枚の羽が同じ大きさで体より長ければシロアリだ。ここを取り違えれば、要らない工事を売ることになる。だから私は、客の前でまず羽アリを一匹つまみ、ルーペで腰を見る。
入って二年目の春だった。一軒の和室で、畳の縁にだけ羽アリの羽が落ちていた。床下に潜る前に、私は親方に言った。「南東の角です。風呂場の配管から来ています」。基礎の外周に、その一本の蟻道だけが湿って太く、南東へ向かって伸びていたからだ。潜って確かめると、風呂場脇の土台が、ぽこ、と鳴った。親方は写真を一枚撮って、何も言わなかった。帰りの車で、ひとつ覚えたぞ、と短く言った。私が初めて、潜る前に被害を当てた日だった。
調査が終われば、床下で撮った写真を家主に見せて話す。ここに蟻道があります、この柱はここまで、ここはまだ大丈夫です、と。煽れば工事は取りやすい。けれど煽って取った仕事は、あとで効いてくる。三十年で薬は変わった。私が入った頃の薬は匂いがきつく、いまはベイトで巣ごと弱らせる。覚えているのは、殺した虫の数ではない。読めた蟻道の、あの南東の一本のほうだ。