十一月の金曜、午後九時半。研究支援課の宮地(二十五、入職三年目)が今月で辞める。一次会は栄のホテルの和食店の個室で、幹事は課でいちばん新しい波多野ひより。一次会が終わり、ロビーのソファに、ひより、宮地、学務課の梶田が残っている。
宮地、紙袋を三つ膝に載せている。花束が一つ、袋からはみ出している。
宮地二次会、ほんとにいいの? ひよりちゃん幹事なのに
ひより幹事は一次会まで、と課長が
梶田課長が二次会に行きたくないだけでは
宮地言った
梶田言ってません。俺はここにいなかったことにしてください
ひより会計、一人四千八百円で集めたのに、千円余った
宮地杉浦さんでしょ。締めのときに千円置いてくの。ノンアル一本しか飲まないのに
梶田それ、返すんですか
ひより返す。余ったお金を持ってるの、嫌だから
宮地受け取らないよ、あの人。三年間、誰の送別会でもそう。辞める人の送別会は一回も休んだことないんだって。課長が言ってた
ひよりなんでですか
宮地知らない。課長も知らない
宮地引継ぎ、どこまで見た?
ひより共有フォルダは全部。ファイルの一覧を作って、作成日と作成者で並べました
梶田全部
ひより四万二千件
宮地じゃあ、「お詫び」のフォルダの、いちばん古いのも見た?
ひより見ました。「お詫び_雛形」。作成日が二〇〇四年三月三十一日、作成者が杉浦さん
宮地中は
ひより普通の雛形でした。「このたびは」と、「再発防止に努めてまいります」のあいだが空欄
宮地三月三十一日って、年度の最後の日だよ
ひより知ってます
宮地そう
宮地、それ以上言わない。花束の向きを直す。
梶田俺、今の聞いてないことにしてください
ひよりなんで梶田くんはいつも、いなかったことにしたがるの
梶田来年、時間割の担当だから。見たことになると、あとで呼ばれる
宮地私ね、最後の日、机にノンアル一本置いて帰る
梶田えっ
宮地写真撮られても、もう困らないし
ひより困るのは残ったほうです。片づけるの、たぶん私
宮地じゃあ付箋貼っとく。「宮地より」
ひより付箋は、誰でも書けます
ひよりの携帯が鳴る。知らない番号。
ホテルの一階、フロントの端のカウンター。ホールのアルバイトが一人、忘れ物の台帳を開いて待っている。名札に「ケイ」。ひよりが一人で来る。
ケイ和食店の個室の、幹事様でいらっしゃいますか
ひよりはい。忘れ物って
ケイ奥のお席の、お座布団の横に。こちらです
ケイ、小さな印鑑ケースをトレーに載せて出す。
ひより開けてもいいですか
ケイどうぞ
ひより、ケースを開ける。印面を見て、閉じる。
ひより課の人のです。月曜に渡します
ケイご本人様ではいらっしゃらないので、幹事様のお名前とご連絡先、お受け取りの時刻をこちらに。身分証を拝見できますか
ひより、職員証を出す。ケイは台帳の「担当」の欄に自分の名前を書いてから、用紙をひよりのほうへ向ける。ひより、その欄を見る。それから自分の欄を埋める。
ケイありがとうございます。こちら、控えです
ひより控えも、紙なんですね
ケイはい
ひより……どうも
ロビー。梶田と宮地が待っている。
宮地なんだった?
ひより杉浦さんの判子
梶田うわ。週末ずっと持ってるの?
ひより今日のうちに知らせたい。宮地さん、杉浦さんのLINEは
宮地知らない
ひより携帯の番号は
宮地知らない。課の連絡網は課長止まり。課長は今、二次会で歌ってる
梶田大学の連絡手段で、どうぞ
ひより学内メールで送る
宮地月曜の朝七時半に読むよ。あの人は毎朝それ
ひよりそれまで、判子がないことに気づかないかもしれない
宮地気づいてるよ。もう
ひより、メールを打って送る。画面を見たまま、しばらく動かない。
梶田学内メールって、既読つかないんだよね
ひより知ってる
ひより、印鑑ケースと受領票の控えを、同じポケットに入れる。