核は強い。蕎麦の五分と当直の交代時刻を頭の中で重ねる段取り、数の子だけは自分で塩を抜くという一点の意地、操舵室への雑煮の出前、そして一月二日に普段の献立へ戻る早さ。この四つだけで一本立つ。問題は、書き手がその四つを信用せず、遠くの島影の灯と「家族」という既製の叙情で場面を立ち上げ、最終段で「沖の正月も悪くないのだ」と自分で結論を押してしまっていることだ。司厨の手つきは描けているのに、肝心の場所で常套句にすがる。職業エッセイは、職業の手が確かなぶん、借り物の抒情が際立って見える。
「それでも、沖の正月も悪くないのだ。家族と離れていても、六人で囲んだ雑煮の湯気を、私はきっと忘れない。」
主題を自分で要約して、自分で赦して終わっています。「沖の正月も悪くないのだ」は読者が受け取るべき結論を作者が先に言ってしまう型で、「悪くない」かどうかは、二日に普段の献立へ戻る描写がすでに静かに語っている。「きっと忘れない」も、どの別れのエッセイの末尾にも貼れる汎用シール。一月二日の朝食という強い具体で終われたはずの稿を、抽象の感想で薄めています。
「遠くの島影に、いくつか正月の灯が見える。あの灯の下では、きっと家族が寄り添って年を越しているのだろう。」
遠くの灯、その下の家族、寄り添う団欒。三点セットで「海の上の孤独」を安く調達しています。九年沖にいる人間が大晦日に見ているのは、想像上の団欒ではなく、湯が沸くまでの時間か、寸胴に入る蕎麦の量か、当直表の交代時刻のはずです。この灯は、書き手が見たものではなく、生成器が「正月の海」と聞いて返す既定の絵。雰囲気が人物より先に立っている。
「甲板の手すりにもたれた、その背中を、私は台所の窓から見ている。……海の上にいても、家族とは繋がっているのだと、その背中が教えてくれる。」
電波の入る海域を皆で共有して順番に甲板へ出る、という観察は本物で、ここが核のひとつです。ところが「背中が教えてくれる」で一気に手垢のついた抒情に落ちる。背中は何も教えません。教えるのは具体です――誰が一番に出ていったか、長く話したのは誰で短く切ったのは誰か、戻ってきた顔がどうだったか。「繋がっている」は説明で、観察ではない。せっかくの「電波の立つ数十分」という設定を、常套句で締めてしまっています。
「慣れた古参と、まだ慣れない若手の差が、正月の朝にだけ、少し見える気がする。」「陸ではもっと長く正月が続くのだろうが」
司厨は、おかわりの回数と箸を置く早さで人を読む観察者です(デビュー作の「言葉のない通信簿」がそれを立てている)。その人物が「見える気がする」「続くのだろうが」と逃げるのは、怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。差が見えるなら、見えた事実を一つ書くべきです――若手は手当の使い道を喋り、古参は手当の話をしない、と本文はすでに差を具体で書けている。なのに語尾で「気がする」とぼかすと、書けていた観察まで自信なく見える。
「雑煮の議論は、毎年の正月の、決まった風物詩のようなものだ。」
丸餅か角餅か、白味噌か澄まし汁か、という議論はこの船にしかない具体です。それを「風物詩のようなもの」と一般名詞でまとめた瞬間、固有の船が、どこの正月にもある風景に薄まる。「船には日本中の郷里が乗っている」という強い一文が直前にあるのだから、まとめは要りません。聞き取った餅の数を盆に書きつけた、くらいの動作で閉じれば、議論の手触りが残ります。
「伊達巻は焼けないから、市販のものを切る。妥協の御節だ。」
「妥協の御節だ」と名指す前に、妥協が見えていれば名指す必要はありません。なぜ船で伊達巻が焼けないのか――揺れで巻きすが使えないのか、卵焼き器が滑るのか、火加減が安定しないのか。その一つが書ければ、「妥協」の二文字より雄弁です。数の子だけは譲らない意地と対になる以上、妥協の側こそ具体で見せないと、意地の重みも出ない。概念で済ませた箇所が、核の足を引っぱっています。
「揺れる台所で、私は今日も、誰かの一日に温かい汁物を置いている。」
これはデビュー作・二作目の余韻をそのまま借りた一文で、正月の稿である必然がありません。シリーズの通奏低音を最後にもう一度鳴らしたい気持ちは分かるが、今回鳴らすべきは「正月の汁物」――操舵室に出前した雑煮の湯気のはずです。汎用の締めに逃げず、この稿だけの具体(二日の普段の味噌汁でもいい)で終わってください。
残すべきは五つ。蕎麦の五分を当直の交代時刻に重ねる段取り、数の子だけは自分で塩を抜く意地、電波の立つ数十分に皆が順番に甲板へ出る共有、操舵室への雑煮の出前、そして一月二日に普段の献立へ戻る早さ。削るべきは、遠くの島影の灯と想像上の家族、「背中が教えてくれる」、「気がする」「のだろう」の留保、「風物詩のようなもの」、「妥協の御節だ」という名指し、そして最終段の「悪くないのだ」と汎用の締め。改稿では、御節の伊達巻が焼けない理由を一行で具体にして妥協を見せ、電話の場面は背中ではなく誰がどう話したかで書き、結びは一月二日の普段の一品で閉じてください。意味は段取りと動作が運ぶ。感想が運ぶのではない。