ホズミナツキ(31歳・内航船の司厨9年)
大晦日の沖は、いつもより静かだ。陸の家々に明かりが灯り、誰もが家族と年を越すころ、私たちの船はまだ瀬戸内を走っている。窓の外は暗い海で、遠くの島影に、いくつか正月の灯が見える。あの灯の下では、きっと家族が寄り添って年を越しているのだろう。揺れる台所で、私は六人ぶんの年越し蕎麦の湯を沸かしはじめる。
蕎麦は、茹で時間がすべてだ。乾麺の袋には五分と書いてある。だが六人ぶんを一度には茹でられない。寸胴に入る量は二人ぶん、だから三回に分ける。一回目を茹でているあいだに、当直の交代がある。〇時の鐘を、誰かは操舵室で聞く。私は茹で上がりを当直の交代に合わせる。先に降りてくる三人に一回目を出し、上がっていく三人の蕎麦は、伸びないよう、湯から上げる時刻を遅らせる。蕎麦の五分と、人の交代の時刻を、頭の中で重ねていく。
御節は、船の冷蔵庫でできる範囲のものになる。重箱は積めない。三段重ねは、揺れたら終わりだ。だから私は、平たいバットに詰める。黒豆は陸で炊いたものを真空パックで持ち込む。数の子は塩抜きして、出汁に浸ける。伊達巻は焼けないから、市販のものを切る。妥協の御節だ。それでも数の子だけは、自分で塩を抜いて味を含ませる。そこだけは、譲れない意地のようなものがある。
元旦の朝、乗組員は順番に、甲板で電話をかける。電波の入る海域は、限られている。明石海峡を抜けるあたり、陸が近づく数十分だけ、皆の携帯に電波が立つ。誰かが「いま入るぞ」と言うと、順番に甲板へ出ていく。家族へ、新年の挨拶の電話だ。甲板の手すりにもたれた、その背中を、私は台所の窓から見ている。風に向かって、何か話している。海の上にいても、家族とは繋がっているのだと、その背中が教えてくれる。
正月手当が出る。陸の正月を捨てて沖にいることの、引き換えのようなものだ。若い甲板員は、それを目当てに年末年始の航海を志願する。「彼女に指輪、買うんすよ」と笑う。古参の機関長は、もう何度目かの沖の正月で、手当の話はしない。陸に正月がないことに、慣れている。慣れた古参と、まだ慣れない若手の差が、正月の朝にだけ、少し見える気がする。
雑煮は、もめる。餅をいくつ入れるか、丸餅か角餅か。関西の機関長は丸餅を白味噌で煮ろと言う。東北の甲板長は、角餅を焼いて澄まし汁だと譲らない。船には日本中の郷里が乗っている。私は前の晩に、ひとりずつ「餅いくつ」「丸と角どっち」と聞いて回る。聞き取った数だけ、餅を用意する。雑煮の議論は、毎年の正月の、決まった風物詩のようなものだ。
元旦の朝礼は、操舵室で行う。当直の者は持ち場を離れられない。だから雑煮は、操舵室へ出前する。湯気の立った椀を、滑り止めの盆に載せて、私は階段を上る。「明けましておめでとうございます」。当直の二人が、舵輪の前で椀を受け取る。海図台の隅に椀を置いて、彼らは海を見たまま雑煮を食べる。操舵室にまで届く、湯気と白味噌の匂い。それが、この船の元旦だった。
そして一月二日、献立はもう、普段に戻る。御節の残りを片づけて、味噌汁と焼き魚の、いつもの朝食を出す。正月は、二日でしまう。陸ではもっと長く正月が続くのだろうが、船の上では、走ることが日常だから、日常に戻るのも早い。それでも、沖の正月も悪くないのだ。家族と離れていても、六人で囲んだ雑煮の湯気を、私はきっと忘れない。揺れる台所で、私は今日も、誰かの一日に温かい汁物を置いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。