#1 ハーフって、半分?
——花のノート、十三歳の春

※ これは第一稿です。辛口レビューを経て第二稿があります。

※本エッセイはすべて創作です。登場人物・団体・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織・事案とも関係ありません。

※花は、母・李暁明『四つ、同時にある』、祖母・山田由紀子『四つ、ではなかった』に登場した「もういいね」の娘の十三歳。母娘三代のシリーズ。

山田 花。十三歳。中学一年生。

母は中国の人で、父は日本の人。だから私は、外から見ると「ハーフ」らしい。

ハーフ、って言葉、生まれてから何百回も聞いた。何百回も「うん」って返してきた。今までは、それで何の問題もなかった。

でも今年の四月、中学に入って、新しいクラスで、新しい人に「ハーフだよね」って言われた瞬間、ちょっとだけ、何かが、引っかかった。

引っかかったけど、その場では、ふつうに「うん」って返した。

その「うん」のことを、今から書く。

一.自己紹介の日

四月。中学一年。新しいクラス。

自己紹介の時間。みんなが順番に立って、名前と、好きなことと、部活の希望を言う。

私の番。「山田花です。読書が好きです。文芸部に入りたいです」。

ふつうに座った。なんの問題もない。日本人の自己紹介として、完璧。

その日の昼休み、隣の席の男子——名前まだ覚えてない、サッカー部志望——が、ふつうに、こう言った。

「山田って、ハーフだよね?」

私は「うん」って返した。

男子は「だよねー」って笑って、それで会話は終わった。

悪意ゼロ。いじめでもない。「お前、犬好き?」「うん」と同じ感じの、小さな確認の会話。

でも、その「うん」のあと、私の中で、なんか、カチッとはまらなかった。

二.何で分かったんだろう

家に帰る途中、ずっと考えてた。

あの男子、なんで「ハーフ」って分かったんだろう。

私の名前は山田。ふつうに日本の名字。下の名前は花。これも日本にもある。

顔は、自分ではよく分かんない。鏡で見ると、ふつうの日本の中学生だと思う。クラスの女子たちと、特に違わない。

でも、男子は「ハーフだよね」って言った。何かで分かったんだ。

家に帰って、洗面所の鏡をじっと見た。目、鼻、口、輪郭。

……分かんない。

もしかしたら、男子は何も気づいてなくて、たまたまカマかけて言っただけかもしれない。あるいは、ほかの子から「あの子の母親、中国人らしいよ」って聞いたのかもしれない。

どっちだったとしても、結論は同じだ。「私はハーフだ」と、外から、決められた

これって、新しい感じだ。今までは、「ハーフ?」って聞かれたら、「うん」って答えるか、「お母さんが中国の人で」って説明するか、私の側に選択肢があった。

でも今日のは、聞かれたんじゃない。言われた。「ハーフだよね」。語尾の「?」は形だけで、中身は「。」だった。確認じゃなくて、認定だった。

三.「ハーフ」って、半分?

夜、ベッドで考えてた。

ハーフって、英語で「半分」って意味だ。中学で習わなくても、知ってる。

半分。1/2。残り半分は、もう半分。1/2 + 1/2 = 1。割り切れる。すっきりした数字。

私は、半分中国で、半分日本、ってこと?

……うーん。

違う気がする。

私の中の中国は、半分じゃない。日本も、半分じゃない。両方が、丸ごとある感じ。重なってるのか、混ざってるのか、よく分かんないけど、半分ずつではない。

春節になったら、餃子を作る。お正月になったら、お雑煮も食べる。両方の日に、両方の食べ物が、テーブルに並ぶ。それは、半分ずつではなくて、両方とも全部だ。

母とビデオ通話で話すときは中国語。父とは日本語。私の中で、両方の言語が、それぞれ全部の場所を占めている。半分ずつ譲り合ってるんじゃない。

「ハーフ」って言葉は、私の中身を、すごく雑に、二つに割ってる。

でも、それを男子に説明するのは、無理だ。「ハーフだよね?」「うん、でもね、半分っていうより、丸ごと両方なの」。

……重い。中1の女子が、サッカー部の男子に、こんなこと返したら、永遠にめんどくさい子認定される。

だから、これからも「うん」って返す。それは決めた。

でも、「うん」って返しながら、内側で、ちょっとだけ、「ちがうけどね」って思っとくのは、私の自由だ。

四.「ずるい」って言われた日

四月の終わり。同じクラスの女子——ミナミちゃん、と仮にしとく——が、休み時間にこう言った。

「ハーフって、ずるいよねー。英語ペラペラなんでしょ?」

私は「ずるくないよ」って返した。

ミナミちゃんは「だってさー」って続けようとした。

私は「私、英語ふつうだから」って遮った。

ミナミちゃんは「えっ、なんで?」って言った。

「中国語と日本語のハーフだから。英語は、関係ない」。

ミナミちゃんは「あー」って言って、ちょっと興味なくした顔をして、別の話に行った。

会話は終わった。何の事件もない。

でも、私の中で、ちょっと、達成感があった。初めて「ハーフ」を、自分から訂正した。今までは、「うん」って受け流すか、「お母さんが中国の人で」って受動的に説明するかだった。今日は、「英語じゃなくて中国語のハーフ」って、私の側から、能動的に分類しなおした。

能動的に、って言葉、母のエッセイの中にあった気がする。母は何かのときに、能動と受動の違いについて書いていた。

家に帰って、母のエッセイを、ちゃんと初めて、読んだ。

五.母のエッセイ

母が書いたエッセイ『四つ、同時にある』を、私は前から知ってた。家のリビングで、母がいないときに、こっそりタブレットで読んだことがある。

でも、ちゃんと最後まで読んだのは、その日が初めてだった。

「四つの感情が同時にある」って書いてあった。蔑視、憧れ、尊敬、敵対心。中国の人が日本に対して持つ四つ。母はその四つを、毎日、胸の中で持ち歩いてる、らしい。

四つ。多い。

でも、「ハーフ」って二つに割るより、四つのほうが、なんか、現実っぽい。

「ハーフ」は、半分と半分で、整理されすぎてる。整理されすぎてるってことは、何かを、こぼしてる

母の四つは、整理されてない。蔑視と憧れと尊敬と敵対心、が、ぜんぶ仲悪い感じで、同居してる。それは、整理されてないけど、何もこぼれてない。全部、母の胸の中にある。

私の中にも、母みたいな四つが、あるんだろうか?

ちょっと考えた。

……まだ分かんない。

蔑視——日本人を見下す気持ち。ない。
憧れ——日本に対する憧れ。私はもう日本にいるから、憧れる対象じゃない。
尊敬——うーん、ない、というか、まだ分かんない。
敵対心——ない。

母の四つは、私には、ない。

でも、母の四つがない代わりに、私には、別のなにかが、ある気がする。それが何かは、まだ言葉にならない。

六.お祖母ちゃんに聞いてみた

その週末、お祖母ちゃん(=日本のおばあちゃん、由紀子おばあちゃん)の家に、お母さんと一緒に遊びに行った。

お祖母ちゃんも、最近、エッセイを書いたって、お母さんが言ってた。私は読んでなかった。

お祖母ちゃんに、聞いてみた。「おばあちゃん、私、ハーフって言われた」。

お祖母ちゃんは、お茶を飲みながら、「そう」って言った。

「『ずるい』って言われた」。

「そう」。

「英語ペラペラだと思ってたみたい」。

お祖母ちゃんは、ちょっと笑った。「英語じゃないでしょ、花ちゃんは」。

「うん。中国語と日本語」。

お祖母ちゃんは、お茶をもう一口飲んで、こう言った。

「『ハーフ』っていう言葉は、おばあちゃんの世代には、まだなかったのよ」。

「えっ、そうなの?」

「そう。おばあちゃんが小さい頃は、お母さんが日本人で、お父さんが外国人、みたいな子のことを、『お国の血が混じった子』って言ってた。それも、いい言い方じゃなかったけどね」。

「『血が混じった』って、なんか、こわい」。

「うん、こわい。だから、『ハーフ』のほうが、まだ、ぜんぜん、いい言葉なのよ」。

……うーん。

「ハーフ」のほうが、まだ「いい」。それは確かに、そうかもしれない。「血が混じった子」って言われたら、もっとめんどくさい。

でも、「いい」と「正しい」は、違う。「ハーフ」はめんどくさくないけど、私の中身は、半分と半分じゃない。

お祖母ちゃんに、それを言ってみた。「でも、ハーフって、半分って意味でしょう? 私、半分じゃないんだよね」。

お祖母ちゃんは、ちょっと黙って、それから言った。「そうね。半分じゃないよね、花ちゃんは」。

お祖母ちゃんは、何の解決もくれなかった。「半分じゃないなら、何?」とも言わなかった。

でも、「半分じゃないよね」と、認めてくれた。

それで、ちょっと、楽になった。

七.「両方」って言葉、ある?

家に帰ってから、辞書を引いた。

「ハーフ」の対義語、みたいなものは、ない。

「フル」じゃない。「フル」は「全部」って意味で、それも違う。

「両方」は近い。でも、「両方の血が入ってる人」みたいな名詞はない。

「両国人」? 違う。それは「二つの国の国籍を持つ人」で、私は今、日本国籍だけ。中国籍は、十六歳になったら選べる、って母が言ってた。

……結局、私を一言で表す言葉は、日本語にも、たぶん中国語にも、ない。

「ハーフ」は、間違ってるけど、唯一ある言葉だ。間違ってるって分かってても、それを使うしかない。

これって、母のエッセイで言ってた「ポエマイゼーション」と、ちょっと近いかも。雑な言葉でも、唯一の言葉なら、使うしかない。雑だって分かりながら使うのと、雑だって気づかずに使うのは、違う。

私は、これからも「うん、ハーフだよ」って返す。返すけど、内側では「半分じゃないけどね」って思っとく。

これが、十三歳の春に、私が見つけた、ささやかな作法だ。

結び:十三歳では、まだ、うまく言えない

母は、四つの感情を持ってる。
おばあちゃんは、ひとつのものを姿を変えながら抱えてる。
私は——たぶん、まだ、何も持ってない。

外から「ハーフ」って言われて、「うん」って返して、内側で「ちがうけどね」って思う。それだけ。

でも、「ちがうけどね」って思えるようになっただけで、たぶん、十三歳の私には、それで十分だ。

母みたいに四つを言葉にできるのは、たぶん、もっと先の話。
おばあちゃんみたいに「分からないものを分からないまま抱える」のも、もっと先。

私は、まだ、外から決められた言葉に、「うん」って返しながら、内側で違和感を貯金してる段階だ。

違和感は、貯金しとけば、いつか、何かに使える、と思う。

「ハーフ」って言葉は、半分。
でも、私の中身は、半分じゃない。
その差を、貯金しておく。

——最後に、ひとつだけ、白状しとく。

サッカー部の男子の名前、まだ覚えてない。

名前を覚えるかどうかは、私の自由だ。それくらいの自由は、十三歳でも、ある。

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山田 花(13)

このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。山田花は架空の人物です。