網入りの、ガラス(第二稿)
割れても、散らないということ

イチハラダン(55歳・ガラス屋33年)

網入りガラスというものがある。ガラスの中に、鉄の網が斜めの菱形に埋め込んである。客の多くは、あれを泥棒よけだと思っている。だが違う。網入りは、火のためにある。火事のとき、普通のガラスは熱で割れて枠から脱落し、穴から炎が次の部屋へ伸びる。網入りは割れても、破片を網が抱えて枠に留まる。延焼を少しのあいだ食い止める。だから建物の場所によっては、網入りでなければ通らない窓がある。あの網は、散らないための網だ。

面白いのは、肝心の泥棒には弱いことだ。普通のガラスは叩くとパリンと派手に鳴って、人を呼ぶ。網入りは網が音を殺すから、ぼこ、と鈍く鳴って、それきりだ。割ったあと網ごと内側へ押せば、人を呼ばずに開く。泥棒に強いのは別物で、二枚のガラスのあいだに樹脂の膜を挟んだやつだ。あれは割っても膜が刃を返してくるから、こちらの手が先にくたびれる。網入りは、網さえ切れば開く。

これを客に言うかどうかは、決めている。「これ、泥棒に強いんですよね」と訊かれたら、本当のことを言う。訊かれなければ、言わない。こちらから「お宅のこの窓、泥棒には弱いですよ」と切り出せば、その夜から窓のことが客に取り憑く。仕事を増やすために、客の夜を取り上げる気はなかった。訊かれたことに、訊かれたぶんだけ答える。

網入りには、もう一つ厄介なところがある。熱割れだ。冬の朝、直射日光の当たる窓で起きる。光の当たる真ん中は温まって伸びようとするのに、サッシに隠れた縁は冷えたままだ。一枚の中で、伸びたい部分と縮んだままの部分が引っ張り合う。耐えきれなくなると、ガラスは自分で割れる。網入りは普通より熱割れしやすい。網が熱を縁へ運んで、内と外の差をいっそう尖らせる。誰が当たったわけでもない。物が飛んだわけでもない。

去年、独り暮らしの婆さんの家でこれが出た。「何もしてないのに、勝手に割れたんです」と、玄関で三度言われた。人は、原因のない割れを信じない。俺は割れた窓の前にしゃがんで、指でひびをなぞって見せた。「ここ、サッシの内側から、枠にまっすぐ直角に切れてるでしょう。それから途中で、こう曲がる。物が当たった割れは、当たった一点から放射に走るんです。これは縁から来てる。陽のせいです」。婆さんは指の先を目で追って、まだ半分疑った顔で、それでも一度だけうなずいた。信じてもらえたかどうかは、分からない。なぞった指は、覚えている。

古い網入りには、錆割れもある。サッシの下端、水が溜まるところで、ガラスの小口から雨水が染みて、中の鉄網を錆びさせる。鉄は錆びると膨らむ。膨らんだ錆がガラスを内から押して、下のほうから縦に、筋が立つ。割れた窓の下端を見て、そこだけ赤茶けた染みが網に沿って走っていれば、錆だ。一日では割れない。何年もかけて、染みが網を一目ずつ太らせていった跡だ。

入れ替えで網入りを切る日は、音が二段になる。まずガラスを線で切って、叩いて落とす。ここまでは普通の澄んだ音だ。だが中の網が残るから、そのあと網を切る。網切りばさみはすぐ錆びる——切った小口の鉄粉と油がいつまでも刃に残るからだ——その錆びかけの刃で、菱形の交点を一つずつ。じょり、じょり。澄んだ音のあとに、その鈍い音が続く。網入りを切った日は、じょり、じょりが手のひらに残る。

夕方、入れ終えた網入りの前で道具をしまう。傾いた陽が、網の影を畳に落とす。菱形がきれいに並ぶ中で、鴨居の段に乗った一本だけが、そこで折れてずれている。古いサッシが歪んでいるからだ。寸法を控えた紙を畳んで、俺はその折れた一本をしばらく見ていた。割れ方は見ろ、事情は見るな。そう教わった。網入りは、割れても散らない。それだけ控えて、店に戻る。今日も陽が傾いて、菱形の影が、一本だけ折れて伸びていく。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。