編み直しの、座面(第二稿)
抜けた座面を解くと、前の職人の癖が出てくる

イカリヤソウ(52歳・籐家具職人28年)

近頃は、新しい椅子を作るより直すほうが多い。工房の戸口には、たいてい誰かの椅子が一脚立っている。座面が抜けて枠だけになったもの。肘掛けの巻きがほどけて、籐の端がささくれて飛び出したもの。何十年も人の家にいた椅子が、最後にここへ回ってくる。私が触るのは、潰れた繊維だ。何万回も体重を受けて、皮籐の表が指紋みたいに磨り減り、座る人の尻のかたちに、真ん中だけ深く窪んでいる。

修理は、古い編みを解くところから始まる。新しく編むより、解くほうが気を使う。皮籐は黒く沈み、繊維が潰れて、鋏の刃が滑る。目を一つずつ起こしながら、枠の溝を傷めないように引く。溝が割れたら、編み直しても籐が止まらない。

解いていくと、前にこの座面を編んだ職人の手が出てくる。先月解いた昭和の応接椅子は、編み始めを左の後ろ角から起こしていた。普通は右の前角から起こす。左から起こす人間を、私はもう一人しか知らない。三軒先で店を畳んだ松井さんだ。継ぎ足しの目が緩んでくると、裏で短い皮籐を一本噛ませて誤魔化す癖まで同じだった。松井さんはとうに死んでいる。私はその椅子を、彼の手の癖ごと解いて、自分の右起こしに編み替えた。彼の名は、もう座面のどこにも残らない。

座面を全部解いたら、骨組みを点検する。編みは最後だ。枠の接ぎ目を指で押すと、緩んでいればにぶい遊びが返る。脚の付け根を捻る。きしめば、まず接合を締め直す。きれいに編んでから骨の緩みに気づいても遅い。だから順を守る。骨、巻き、それから座面。

骨が直ったら、新しい皮籐を裂く。古い籐は飴色に深く沈んでいるのに、新しい皮籐は青白い。並べれば継ぎ目で色が割れる。私は編む前に、新しい皮籐を薄い番茶でひと撫でして、軒下に一日干す。翌朝見ると、青白さが抜けて、薄い卵色まで寄っている。古い飴色には、まだ三段ほど足りない。その三段は、座る人が何年かかけて埋めてくれる。私は完全に揃わせない。揃いすぎた継ぎは、かえって嘘くさい。

張りは、座る人に合わせる。採寸のとき、体重を聞く。六十キロを境に、それより重ければ網代の目を一目詰め、皮籐を裂く幅も一分広く取る。緩く編めば座面が早く垂れてまた切れるし、硬く編めば板に座るのと変わらない。聞いた数字が、そのまま編む手の力になる。籐の家具が夏に涼しいのは網代の隙間を空気が抜けるからだが、その隙間も、いま詰めた一目で決まる。

回ってくるのは籐椅子ばかりではない。北欧家具の、肘や背に籐を張った名作。昭和の応接セットの籐巻きの飾り。家具のジャンルはばらばらでも、籐の部分だけは、こちらへ回ってくる。木工の職人も張り職人も、籐はやらない。籐は籐の人間が要る。私はずっと、誰かの仕事の籐の部分だけを引き受けてきた。

納めた椅子に、数年してまた会う。卵色だった継ぎ目が、まわりの飴色に追いついて、自分でもどこを直したか分からない。座面はまた少し沈んで、その家の体重を覚え直している。先週来たのは、五年前に編み直した籐椅子だった。真ん中がまた窪み始めていて、座る人がこの五年、同じ場所に座り続けたのが分かった。私は鋏を入れて、目を一つずつ起こしにかかる。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。