イカリヤソウ(52歳・籐家具職人28年)
椅子を作る前に、材料を仕入れる。籐は蔓で、日本では採れない。届くのは一本ではなく、太さごとに縄で縛られた束だ。荷札にはその年で地名が違う。スラウェシ、カリマンタン、たまにマレー半島。私はジャングルを見たことがない。私が触るのは、土間に転がされた束と、束に付いた紙の地名だけだ。一日は、その縄を切ることから始まる。
縄を切ったら、束の真ん中の一本を抜く。表に巻かれた蔓はきれいに決まっている。問屋は良いものを外に巻くからだ。だから外側は見ない。手を突っ込んで、芯から一本引き抜く。そこが太さも艶も外と揃っていれば、その束は買う。芯と表が違う束は、いくら外がよくても返す。二十八年、ここで迷ったことはない。迷うのは、芯を抜く前だけだ。
抜いた一本を、台の上で転がす。指の腹に、太さのむらが当たる。同じ「中太」で縛られていても、転がせば太いところと痩せたところが交互に来る。次に節を見る。節と節の間隔――節間が長ければ、まっすぐ長いまま使える。節間の詰まった蔓は、節の手前で切るしかないから、端材ばかりが増える。一本の蔓のどこまでが商品で、どこからが屑かは、節の数が決めている。
産地の国が、輸出を絞る年がある。理由はこちらまで届かない。届くのは「今年は値が上がる」「太物が入らない」という問屋の電話だけだ。太物が来なければ、骨組みの新作は止める。代わりに、これまで弾いていた節間の短い半端な蔓を、肘の継ぎや短い貫に使い切る。一本を三つに切り、節を避けて二寸ずつ拾う。潤沢な年には屑にしていた蔓から、その年は短い部材ばかりが採れた。
一脚の椅子の中で、籐は二つに分かれる。脚や枠の骨になるのは、太い丸籐だ。火で炙って曲げ、構造を受け持つ。座面や背を編むのは、その丸籐の表皮を細く裂いた皮籐――何度交差させても切れない。太物は曲げに、細物は編みに。同じ一本の蔓から、骨と肌の両方が出る。だから芯を一本抜いたとき、私はもう、ここが骨か肌かを見分けている。
買った束は、すぐには使わない。乾きすぎれば割れ、湿りすぎれば黴びる。だから床には直接置かない。すのこの上に立てて、束の間を風が抜けるようにする。冬の乾く時期は、土間に水を打つ。若い頃、束を床に寝かせて一晩置いたら、一番下の一本だけが湿気を吸って、翌朝にはもう使えなくなっていた。親方はその一本を私の手に乗せて、何も言わなかった。それからは、必ず立てる。
合成籐というものもある。樹脂を蔓の形に押し出したもので、雨に強い。屋外のガーデン家具はこれでいい。何年も雨ざらしになる椅子に、割れる天然籐を使うほうが無責任だ。素材には居場所がある。私は天然籐の人間だが、それは樹脂が劣るからではない。火を入れたとき、樹脂は溶けて垂れる。天然籐は、匂いを返す。私の指が覚えているのは、火に匂いで応えるほうだ。
束をほどくと、籐は匂う。乾いた草に少し甘みの混じった匂いだ。匂いの強い蔓は、まだ繊維に水気が残っている。火曲げのとき粘って、なかなか音を上げない。匂いの飛んだ蔓はよく乾いていて、押せばぱきっといく。私は芯の一本を鼻に近づけ、それから台に転がす。匂いを嗅ぎ、太さを転がし、節を数える。買うか返すかは、その三つで決まる。いま手の中の束は、芯がよく締まって、匂いが立っている。私は縄を切り終え、二本目を抜きにかかる。