核は強い。「折れる寸前が一番きれいに曲がる」という親方の言葉、最初の一本を折り二本目を焦がしたこと、限界が指の腹に伝わってくること、限界点が蔓の太さや節ごとに違うこと。これだけで一本立つ。問題は、書き手がその核を信用しきれず、自然素材の温もりという既製の叙情に逃げ、留保語尾で身を守り、最終段で全部を人生訓に翻訳して回収してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、限界を「指で測る」と言っておきながら、指がいつ何を感じたのかという肝心の場面が、概念のまま処理されていること。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「思えば、人もまた、折れる寸前のところで一番きれいなかたちになるのかもしれない。籐のしなりの限界が、私をいまの私にしてくれたのだと、火の前に立つたびに思う。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「私をいまの私にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、籐職人である必然がない。さらに悪いのは「人もまた、折れる寸前のところで一番きれいなかたちになる」――親方の言葉を人生訓に翻訳した瞬間、籐の話が安い格言に痩せます。親方は籐の話だけをした。籐の話だけが強かった。翻訳は読者の仕事です。
「自然が育てた素材の、思いがけない奥深さに、当時の私は静かに心を打たれていた。」
「自然が育てた素材」「奥深さ」「静かに心を打たれていた」。手仕事エッセイを安く調達する三点セットです。二十四歳で床を掃いていた人間が、選別の最中に「自然の奥深さに心を打たれる」はずがない。出てくるのは、束を運ぶ腕の疲れか、節の近くで何本折ったかの数か、選り分けで親方に弾かれた蔓の本数のはずです。結びの「バーナーの青い炎が静かに灯っている」も同じ病で、道具の静物画で余韻を偽装している。
「ありふれた動機だったと思う。」「その幅は、たぶん数秒だ。」「人もまた、折れる寸前のところで一番きれいなかたちになるのかもしれない。」
火加減で生きてきた職人が、肝心の幅を「たぶん数秒」で済ませるのは致命的です。二十八年炙ってきた人間なら、それは数秒ではなく「炙り始めて蔓の色がほんの少し変わる、その変わり目」のような、体に刻まれた具体で出てくるはずです。「たぶん」「と思う」「かもしれない」は、職人の身体感覚ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。指で限界を知る人物の語りが、留保語尾で薄められているのは矛盾です。
「まだ硬い、もう少し、――今だ、という感じが、言葉より先に指に来る。」
「言葉より先に指に来る」は、指で測ることの説明であって、観察ではない。実際に何百本も押した人間なら、その「今だ」が指の腹のどんな感触なのかを一つ書けるはずです――抵抗がふっと抜ける、押し返す力が一段やわらぐ、繊維が内側でわずかに鳴る。感触を一つも書かずに「指に来る」とだけ言うのは、職人の手つきを概念で代用している。クライマックスの一本目を「ぱきっと乾いた音がして、蔓が裂けた」と書けたのに、なぜ成功の感触は書かないのか。
「籐の家具が夏に涼しいのは、この網代の隙間を空気が抜けるからだ。木の椅子のように熱がこもらない。理屈を知ると、編み目の一つ一つが通気口に見えてくる。」
通気の理屈そのものは面白い。だが「理屈を知ると〜見えてくる」と書いた途端、エッセイが解説になります。読者は、職人が夏の工房で籐椅子に座ったときの背中の感じ一行で同じことを受け取れる。理屈を地の文で説明するのではなく、職人の体に起きた事実で出してください。同じく「乱れた編みは、体重をかけたとき一点に力が集まって、そこから傷む」も、修理で持ち込まれた椅子の現物が一つあれば説明はいらない。
「親方は私の手元を見ていて、何も言わずに三本目の蔓を渡してきた。」
この一行は良い。良いのに、直後の親方の名言を地の文で長々と解説してしまうので台無しになっています。「手前で止めれば曲がりが甘く、ばねのように戻ってしまう。攻めすぎれば折れる」と作者が注釈を付けた瞬間、無言で蔓を渡した親方の手つきの値打ちが下がる。台詞は強い。注釈は弱い。三本目を渡す手と、親方の一言だけで、教えは十分に伝わっています。
「人の家で何十年も座られてきた椅子に手を入れるのは、新品を作るのとは違う、独特の手応えがあるものだ。」
この一文は、靴職人にも、時計師にも、製本屋にもそのまま置ける汎用文です。「独特の手応え」と言うだけで中身を書かないのは、手応えが無いのと同じ。古い籐の飴色と新しい皮籐の色が継ぎ目で浮く、という具体は前段にすでにあるのだから、修理の手応えはその色の差の一点に絞って書けば、籐職人にしか書けない一行になります。
残すべきは四つ。最初の一本を折り二本目を焦がしたこと、無言で三本目を渡す親方と「折れる寸前が一番きれいに曲がる」の一言、限界点が蔓の太さや節ごとに違うこと、そして古い籐の飴色と継ぎ目の色の差。削るべきは、自然素材の温もりの叙情、留保語尾、通気と編みの地の文解説、最終段の人生訓化。改稿では、火曲げの「今だ」を指の腹の感触一つで書き、親方の台詞は注釈抜きで置き、人生への翻訳は読者に渡してください。意味は感触が運ぶ。説明が運ぶのではない。