籐の、しなり
工房に入った年、折れる寸前を指で覚えるまで

イカリヤソウ(52歳・籐家具職人28年)

籐の家具を作って二十八年になる。籐というのは東南アジアの蔓のことだ。木に見えて木ではない。中が詰まっていて、節がある。これをバーナーで炙って曲げ、皮を裂いて編み、椅子にする。釘はできるだけ打たない。曲げたところと編んだところが、互いに支え合って、形になる。

工房に入ったのは一九九八年、二十四歳のときだった。家具屋を継ぐつもりもなく、ただ手を動かす仕事がしたかった、というありふれた動機だったと思う。最初の半年は、蔓を運び、床を掃き、太さごとに籐を選り分ける係だった。家具になる蔓には条件がある。太さが揃っていること、節と節の間隔が長いこと。節の近くは曲げると折れやすい。自然が育てた素材の、思いがけない奥深さに、当時の私は静かに心を打たれていた。

火曲げを初めて任されたのは、入って一年近く経った頃だった。バーナーの火で籐を炙ると、硬かった蔓が、ある瞬間からふっと柔らかくなる。そこで型に押し当てて曲げる。焦がしてはいけない。表面が黒くなったらもう商品にならない。柔らかくなりすぎる手前で止め、固くて曲がらない手前で炙る。その幅は、たぶん数秒だ。

最初の一本を、私は折った。型に当てて力を入れた瞬間、ぱきっと乾いた音がして、蔓が裂けた。二本目は焦がした。慎重になりすぎて炙りすぎたのだ。親方は私の手元を見ていて、何も言わずに三本目の蔓を渡してきた。

そのとき親方が言った言葉を、私は今でも覚えている。「籐は折れる寸前が一番きれいに曲がる。限界を知らない奴は、手前で止めるか折るかのどっちかだ」。手前で止めれば曲がりが甘く、ばねのように戻ってしまう。攻めすぎれば折れる。一番きれいなカーブは、折れる一歩手前にしかない。そしてその一歩手前は、火加減で測るのではなく、押している指で測るのだという。

指で測る、というのが最初は分からなかった。だが何百本も曲げているうちに、押し当てた指の腹に、蔓の抵抗が伝わってくるのが分かってきた。まだ硬い、もう少し、――今だ、という感じが、言葉より先に指に来る。しかもその限界点は、蔓の太さごとに違う。太い蔓は粘り、細い蔓は早く音を上げる。同じ籐でも、節をまたぐ箇所はまた別だ。一本一本、限界の場所が違う。

編みの仕事も覚えた。座面は皮籐を網代に組んでいく。斜めに交差させて、目を一定に揃える。この目が揃っているかどうかで、座り心地が変わる。乱れた編みは、体重をかけたとき一点に力が集まって、そこから傷む。縁は巻きで化粧する。巻きの間隔が乱れると、いくら座面がよくても安っぽく見える。籐の家具が夏に涼しいのは、この網代の隙間を空気が抜けるからだ。木の椅子のように熱がこもらない。理屈を知ると、編み目の一つ一つが通気口に見えてくる。

修理の仕事も多い。何十年も使われた椅子が、座面の籐だけ切れて持ち込まれる。骨組みはしっかりしているから、編み直せば蘇る。古い籐は飴色に艶を帯びていて、新しい皮籐とは色が違う。継いだ部分はしばらく色が浮くが、何年か使えば馴染んでいく。人の家で何十年も座られてきた椅子に手を入れるのは、新品を作るのとは違う、独特の手応えがあるものだ。

あれから二十八年、私はずっと、しなりの限界を指で測ってきた。折れる寸前の、あの一歩手前を。思えば、人もまた、折れる寸前のところで一番きれいなかたちになるのかもしれない。籐のしなりの限界が、私をいまの私にしてくれたのだと、火の前に立つたびに思う。今日も工房には、バーナーの青い炎が静かに灯っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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