核は強い。回ごとに表記をゼロから確認すること、外国人選手の公式表記の事前確認、数百人の候補者名を裏取りする選挙の夜、同音異字を本人に電話で確かめること、そして予習にない言葉が来た数秒。この具体物だけで一本立つ。問題は、書き手がその具体を信用せず、「〜なのかもしれない」で逃げ、最終段で「予習が本番を決めるのだ」と主題を自分で言い直して回収してしまっていることだ。前作で「自衛」と一度書いた人が、なぜ二作目で抽象に逃げるのか。職業の手つきが本物なら、結論は手つきが運ぶ。書き手が運んではいけない。
「予習が本番を決めるのだ。準備した人だけが、準備していなかった瞬間に立てる。」
タイトルの副題(「本番の数秒は、放送前の何時間かで決まる」)を、最終段でもう一度、格言の形で言い直しています。これは余韻ではなく回収です。「準備した人だけが〜」は自己啓発書の見出しに貼れる汎用シールで、イコマナツメである必然がない。直前の「その数秒に、十一年が出る」がすでに全部言っている。そのあとに格言を二つ足すたびに、「十一年が出る」の値打ちが下がります。
「流行語というのは、私にとっては、登録の決断のことなのかもしれない。」「その一秒を、私はずっと背負ってきたのかもしれない。」(※後者は前作の癖)/「すべての名前が、本当はそうなのだと思う。」
この語り手は、表記を一字単位で決めることで給料をもらっている人です。「カワサキかカワザキか」を電話で確定させる人物が、自分の仕事の定義を「〜なのかもしれない」で濁すのは、怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに「流行語というのは〜登録の決断のことなのかもしれない」は、断定すれば一行で立つ命題(流行語とは、登録の決断のことだ)を、わざわざ留保で弱めています。決める人なら、決めてください。
「誰かの名前を間違えるというのは、その人の存在を一瞬だけ別人にしてしまうことだ。」
言いたいことは分かるが、これは概念であって観察ではない。前作の強さは「自衛」という具体的な誤変換にあった。ここでも、深夜の候補者一覧で実際にヒヤリとした一例(票読みの最中に同姓の二人が並んでいて、どちらの表記か一瞬迷った、等)を一つ出せば、「存在を別人にする」という抽象は要らなくなる。観察を一つ持っていれば、書き手は概念で代用しなくて済みます。
「たとえば司会者の苗字をひらがなで入れて、漢字の表記を右に置く。」
辞書登録という、この作品でいちばん固有の作業が、いちばんぼんやり書かれています。「読み」と「表記」を結ぶと宣言したのに、登録画面が見えてこない。前作では速記キーボードの「和音」という一語で道具が立っていた。ここでも、登録した語数が画面の隅に出るのか、品詞をどう選ぶのか、変換候補の何番目に自分の登録を割り込ませるのか——機械の手触りが一つあれば、予習が「暗記」ではなく「機械への入力」であることが効いてくる。タイトルは頭と機械の両方を謳っているのに、機械の側が薄い。
「この静けさが、たぶん予習の報酬だ。何も起きなかったことが、いちばんの成果なのだ。」
「何も起きなかったことが成果」は、保守運用でも校閲でも管制でも言える、裏方賛美の汎用句です。「たぶん」もここでは留保ではなく情緒の薄め役。この人にとっての「静けさ」を固有にするなら、抽象の静けさではなく、本番中に自分の指が一度も宙で止まらなかったという身体の事実で書くべきです。予習が当たった回の、相方との無言のリズムでもいい。情緒の語ではなく、起きなかった事故の名で書く。
「同じ読みでも番組によって表記が違う人がいるから、毎回ゼロから確認する。前の週の登録を使い回したくなる誘惑を、私はいつも振り払うようにしている。」
後半の「誘惑を振り払うようにしている」は、どんな几帳面な職業人の述懐にも置ける。しかも「〜ようにしている」は努力目標の語尾で、本当に毎回やっている人の口ぶりではない。前半の事実(番組ごとに表記が違う)は強いのだから、後半は要らない。事実を置いたら、心がけは黙っていてよい。
残すべきは五つ。回ごとに表記をゼロから取り直すこと、外国人選手の公式表記の事前確認、数百人を裏取りする選挙の夜、「カワサキかカワザキか」を本人に電話で確かめる動作、そして予習にない言葉が来た数秒。削るべきは、最終段の格言二つ、「〜なのかもしれない」の留保、「静けさ=報酬」の汎用句、「心がけ」の語尾。改稿では、辞書登録の画面を一行でいいから見せて、予習が機械への入力であることを立たせること。流行語は「決断だ」と断定し、名前を間違える意味は概念で語らず、選挙の夜の具体的な一名で運ぶこと。意味は、確定した一字が運ぶ。格言が運ぶのではない。