イコマナツメ(33歳・リアルタイム字幕の入力者11年)
生放送の言葉を、数秒遅れで文字にする仕事をしている。本番の数秒は、放送前の何時間かで決まる。聞いて推測できる言葉は、予習しなくてもいい。推測できない言葉だけが、予習の対象になる。固有名詞だ。人の名前、地名、専門用語。音だけでは綴れないものを、私は本番の前に、頭と機械の両方へ入れておく。
予習の中心は、辞書登録だ。「読み」と「表記」を一対一で結ぶ作業。番組に出る人の名前を、フルネームで打ち込む。たとえば司会者の苗字をひらがなで入れて、漢字の表記を右に置く。同じ読みでも番組によって表記が違う人がいるから、毎回ゼロから確認する。前の週の登録を使い回したくなる誘惑を、私はいつも振り払うようにしている。表記は、人ごと、回ごとのものだからだ。
スポーツ中継は、固有名詞の量がちがう。選手名簿を一枚もらって、私はそれを暗記する。日本人選手は読めることが多い。問題は外国人選手のカタカナ表記で、これは公式表記を調べないと決められない。同じ選手が媒体によって「ジエゴ」だったり「ヂエゴ」だったりする。中継局がどちらを採るかを、私は事前に確認しておく。スタメンの十一人と控えを、目をつぶっても言えるようにしてから、私はスタジオに入る。
選挙速報の夜は、別の意味で重い。候補者の一覧が、数百人ぶん来る。一人ひとりの読みと表記を、私は深夜に裏取りしていく。当選確実が出た瞬間に名前を出すのだから、間違えれば取り返しがつかない。誰かの名前を間違えるというのは、その人の存在を一瞬だけ別人にしてしまうことだ。だから私は、眠い目をこすりながら、数百人分の名前と静かに向き合う。
予習しても、登録できない言葉がある。新語と流行語だ。まだ辞書にない言葉が、生放送ではふつうに飛んでくる。いつ登録するかのタイミングがいつも難しい。早すぎれば誤爆するし、遅すぎれば本番で詰まる。世の中の言葉が辞書に載るより半歩だけ早く、私はその言葉を登録するかどうかを決めなければならない。流行語というのは、私にとっては、登録の決断のことなのかもしれない。
いちばん怖いのは、人名の同音異字だ。「カワサキ」さんなのか「カワザキ」さんなのか。「サイトウ」の「サイ」がどの斎なのか。音は同じでも、その人にとっては一字も同じではない。確信が持てないとき、私は番組の担当者に電話をかけて、本人にとっての正しい表記を確かめる。間違えてはいけない名前というものが、世の中にはある。すべての名前が、本当はそうなのだと思う。
予習が当たった本番は、静かだ。出演者が名前を呼び合うたびに、私の指が、予習しておいた表記をそのまま置いていく。詰まらない。宙で止まらない。誰にも気づかれないまま、字幕が話者の口にそっと寄り添う。この静けさが、たぶん予習の報酬だ。何も起きなかったことが、いちばんの成果なのだ。
それでも、予習にない言葉は来る。誰かが台本にないことを言った瞬間、私の頭は数秒の勝負に入る。聞こえた音から表記を推測し、登録のない言葉を仮の表記で置いて、次の数行で直すかどうかを決める。その数秒に、十一年が出る。予習は、この数秒のためにある。予習が本番を決めるのだ。準備した人だけが、準備していなかった瞬間に立てる。私は今日も、放送前の机で、まだ来ていない言葉の名前を、先回りして書いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。