核は強い。コップの水を想像してブレーキを踏むこと、車列全体を運転しているという感覚、前日に道を走る下見、「急がせるな、待たせるな」、そして到着ロータリーで停まったと気づかれないように停まること。この技術の連なりだけで一本立つ。問題は、書き手がその技術を信用せず、「最後の旅路に寄り添う」という既製の叙情で包み、最終段で全部を解説して自分を赦して終わっていることだ。霊柩車の運転士という、誰よりも所作に厳密な職業を語り手にしながら、肝心の場面で手つきが情緒に溶けている。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「あの先輩の言葉が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。」「人生最後の移動を、波立たせずに運ぶ。それが私の仕事だ。今日も、コップの水を想像しながら、私はハンドルを握っている。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「私をいまの私にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、イクタロウマである必然がない。コップの水を握り直して締めるのも、冒頭で出した最良の具体物を余韻の小道具に格下げしているだけです。読者に渡すべき余白を、作者が先に埋めてしまっている。
「最後の旅路に寄り添う、というのはこういうことなのかもしれない、とそのとき思った。」
「最後の旅路に寄り添う」は、葬送を語るときに真っ先に降りてくる既製のフレーズで、この職業の人間が現場で使う言葉ではない。直前の先輩の台詞「急がせるな、待たせるな」が具体で完結しているのに、その横に紋切り型を並べたせいで、台詞の鋭さが鈍る。寄り添うのは感情の言葉、運転士が握っているのは足の言葉です。出てくるべきは「寄り添う」ではなく、何キロで車間を何メートル取ったか、のはずだった。
「丁寧な運転の極致だと思う。」「こういうことなのかもしれない、とそのとき思った。」「私をいまの私にしてくれたのだと思う。」
霊柩車の運転は、遅れられない時刻に対して断定で詰めていく職業です。下見をして、秒で逆算して、こぼさないと決めて走る。その人物の回想が「〜と思う」「〜かもしれない」で繰り返し緩むのは、現場の人間の口ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とりわけ自分の十四年の核を「〜のだと思う」で言うのは、いちばん断定すべきところで腰が引けています。
「工事はないか、渋滞する時間帯はどこか、踏切はいくつか。」
これは下見の概念であって、下見の観察ではない。実際に前日その道を走った人間なら、固有の一点が出るはずです——この交差点は霊柩車の全長だと右折で一度では曲がりきれない、この坂は出棺の隊列がいったん切れる、この踏切は午後の貨物で五分閉まる、といった、地図には載らない一箇所。一般名詞の三点列挙は、走っていない人でも書ける。職業の論理が見えないので、下見がただの安全標語に見えます。
「白手袋をはめた手で、ドアを開け、ドアを閉める。」「停まった、と気づかれないくらいに、停まる。それが、最後の停止だった。」
後半の「気づかれないくらいに停まる」は本物です。だが白手袋は、ここで急に出てきて何の仕事もしていない。所作の人を書くなら、手袋は「はめている」ではなく「いつ外すか」で書くべきで(ハンドルを握るとき指の感覚が要るから外すのか、最後まで嵌めたままなのか)、運用が書かれていないので小道具の貼り付けになっている。最良の「気づかれない停止」と、空の白手袋が、同じカードに同居して互いの密度を下げています。
「私が運ぶのは先頭の一台だが、本当に運転しているのは、後ろの車列全体の流れだった。」「運ぶのは棺ではなく、家族の時間だ。以来十四年、私は最後の移動の観察者になった。」
前者はぎりぎり効いている。問題は後者で、先輩の「お前が運ぶのは棺じゃない。後ろに乗っている家族の時間だ」が現場の声ですでに全部言っているのに、それを地の文で要約し直し、さらに「最後の移動の観察者になった」とテーマ語で締め直している。同じことを抽象語で言い直すたびに、先輩の台詞の値打ちが下がる。エッセイの主題を主題文として書いたら、それはもう要約です。
「ここでは、詫びる相手がもういない。」「誰もが、見ていない日のほうが多い。私もかつてはそうだった。」
どちらも、それらしく響くが、霊柩車でなくても成り立つ汎用の感慨です。前者は「遅れたら受付の時刻に間に合わず、火葬の順番が後ろにずれ、収骨まで遺族を余分に待たせる」という具体の連鎖を書けば、感傷を経由せずに重さが出る。後者の「見ていない日のほうが多い」は人生訓の置物で、譲らなかった一台の車種でも、フロントガラス越しの運転手の横顔でも、具体を一つ置けば消える。響きで埋めず、事実で埋めること。
残すべきは五つ。頭の中のコップの水で踏むブレーキ、先頭一台ではなく車列の流れを運転している感覚、前日に実際に道を走る下見、先輩の「急がせるな、待たせるな」、そして到着ロータリーで気づかれないように停まる最後の停止。削るべきは、「旅路に寄り添う」の叙情、留保語尾、白手袋の貼り付け、最終段の主題解説と自己赦し。改稿では、下見を固有の一箇所で書き、車間を数字で押さえ、最後の停止で終われ。意味は所作が運ぶ。「思う」が運ぶのではない。