最後の、移動
霊柩車の運転士になった年、運ぶものが変わるまで

イクタロウマ(39歳・霊柩車の運転士14年)

霊柩車の運転は、丁寧な運転の極致だと思う。発進と停止のショックをなくす。アクセルもブレーキも、足の裏でそっと押すように扱う。後ろには棺がある。揺らしてはいけない。それを十四年、やってきた。

二〇一二年、葬祭会社に入った。最初に教わったのは、コップの水の話だった。後部に水を張ったコップを置いて、こぼさずに走れたら一人前だ、と先輩は言った。実際にコップを積むわけではない。頭の中に置くのだ。発進のとき、停止のとき、いつも水面を想像する。波立たせない足。それが霊柩車のブレーキの踏み方だった。

霊柩車の後ろには、遺族の乗る車が何台か続く。マイクロバスのこともあるし、自家用車の列のこともある。車間を保たなければならない。離れすぎれば信号で切れる。詰めすぎれば急停止が伝わる。私が運ぶのは先頭の一台だが、本当に運転しているのは、後ろの車列全体の流れだった。

火葬場までの道は、前日に必ず下見をした。地図を見るだけではだめだ。実際に走る。工事はないか、渋滞する時間帯はどこか、踏切はいくつか。出棺には時刻がある。火葬場の受付にも時刻がある。遅れられない時刻があるというのは、思っていたよりずっと重いことだった。一般の配送なら詫びて済む。ここでは、詫びる相手がもういない。

入って間もないころ、先輩運転士に言われた言葉がある。「お前が運ぶのは棺じゃない。後ろに乗っている家族の時間だ。急がせるな、待たせるな」。最後の旅路に寄り添う、というのはこういうことなのかもしれない、とそのとき思った。急がせない。待たせない。その二つの間の、細い道を行く。

霊柩車は、クラクションを鳴らさない。割り込まれても、譲られなくても、鳴らさない。道を譲ってくれる車もあれば、譲らない車もある。譲らない車を恨んではいけない、とも教わった。あの車を運転している人は、いま霊柩車を見ていないだけだ。誰もが、見ていない日のほうが多い。私もかつてはそうだった。

仕事には、語らない作法がある。行き先を世間話にしない。今日はどちらまで、と訊かれても、答えない。火葬場の名は口にしない。白手袋をはめた手で、ドアを開け、ドアを閉める。到着のロータリーで車を停めるとき、ほんの少し手前で減速を始める。停まった、と気づかれないくらいに、停まる。それが、最後の停止だった。

あの先輩の言葉が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。運ぶのは棺ではなく、家族の時間だ。以来十四年、私は最後の移動の観察者になった。後部の静けさに合わせて、ブレーキの踏み方を変える。静かであればあるほど、足はそっと動く。人生最後の移動を、波立たせずに運ぶ。それが私の仕事だ。今日も、コップの水を想像しながら、私はハンドルを握っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。