最後の、移動(第二稿)
霊柩車の運転士になった年、運ぶものが変わるまで

イクタロウマ(39歳・霊柩車の運転士14年)

後部に水を張ったコップを置いて、こぼさずに走れたら一人前だ。二〇一二年、葬祭会社に入った日に教わった。実際に積むわけではない。頭の中に置く。発進のとき、停止のとき、その水面を見る。波立たせない足が、霊柩車のブレーキの踏み方だった。

後ろには棺がある。先頭の一台だけを運転しているつもりでいると、すぐに叱られた。霊柩車の後ろには遺族の乗る車が続く。離れすぎれば信号で切れ、詰めすぎれば私の急停止がそのまま後ろに伝わる。車間は車三台分、と決めていた。私が握っているのは、ハンドルの先の流れ全体だった。

火葬場までの道は、前日に走った。地図ではわからないことがある。式場を出てすぐの交差点は、霊柩車の全長だと右折で一度に曲がりきれず、隊列がそこで一拍切れる。県道の踏切は午後二時台に貨物で五分閉まる。出棺の時刻から逆算して、その五分を踏まないように経路を一本ずらした。遅れられない時刻がある。火葬の受付に間に合わなければ順番が後ろにずれ、収骨まで遺族を余分に待たせる。詫びても、戻せない。

入って間もないころ、先輩運転士に言われた。「お前が運ぶのは棺じゃない。後ろに乗っている家族の時間だ。急がせるな、待たせるな」。それきりだった。急がせない。待たせない。その二つの間の細い道を、足の裏で探す。

霊柩車は、クラクションを鳴らさない。割り込まれても、譲られなくても、鳴らさない。譲らない車を恨むな、とも言われた。あるとき、交差点で先に行った軽トラの運転席に、若い男がいた。窓を開けて電話をしていた。あの男はいま、私を見ていない。それだけのことだ。私はブレーキを踏み、水面を見て、待った。

行き先を世間話にしない。今日はどちらまで、と給油所で訊かれても、答えない。火葬場の名は口にしない。これは規則ではなく、運転士どうしが誰に言うともなく守っている。手袋は、ロータリーに入る手前で外す。停めるときの最後の数メートルは、指でブレーキの戻りを感じていたいからだ。到着のロータリーで、私は手前から少しずつ速度を抜く。停まった、と気づかれないくらいに停まる。それが、最後の停止だった。

十四年で走った道は数え切れない。順調に着いた日のことは、ひとつも覚えていない。覚えているのは、五分閉まる踏切と、電話をしていた軽トラの男と、車三台分の車間だ。後ろが静かであればあるほど、足はそっと動く。コップの水を、まだ見ている。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。