イマガワソラ(36歳・養蚕農家14年)
蚕の話をすると、みんな飼育棚のほうばかり聞きたがる。眠だの上蔟だの、虫の話は確かに面白い。だが養蚕の半分は、棚の前ではなく、桑の畑にある。蚕を読む人間は、その前に桑を作る人間でなければならない。大地と生きるとは、たぶんそういうことなのだと思う。
桑くれの量は、頭数から逆算する。五齢の蚕一万頭が一日に食べる桑は、ざっと言って体重の何倍、という換算が頭の中にある。掃き立ての日に箱に入れた蚕の数を起点に、齢が進むごとに食べる量は跳ね上がっていく。四齢から五齢に上がった朝、座の桑がみるみる減っていくのを見ると、毎年、足りるのかと冷たいものが背中を走る。桑の木は今日のうちに葉を増やしてはくれない。畑にある分が、今ある分の全部だ。この逆算が狂うのが、いちばん怖い。
春は、二つの時計を合わせる季節だ。蚕の卵は温度をかけて孵化を促す。桑のほうは、暖かくなれば勝手に芽を吹く。問題は、この二つがぴたりと同じ日に揃ってくれないことだ。稚蚕はやわらかい葉でないと食べられない。孵化が早すぎれば食わせる葉がなく、桑が先に硬くなれば稚蚕の口に合わない。継いで二年目の春、遅霜で桑の芽吹きがずれ、孵った稚蚕の前に出せる葉が足りなかった。隣の桑園から穂先を分けてもらって、なんとか食いつないだ。蚕の暦と桑の暦の、その同期のずれに、一年がかかっていると言ってもいい。
桑摘みは朝にやる。だが朝露の桑は与えない。これは継いだ最初に祖父から厳しく言われたことだ。濡れた葉を食べた蚕は、腹を壊して下痢をし、座を汚し、病気を呼ぶ。だから露を含んだ葉は、与える前に広げて乾かすか、露が上がるのを待つ。早起きして摘んだのに、すぐにはやれない。朝の畑で、葉の裏に残った露の粒を指で確かめながら、まだだ、と自分に言い聞かせる時間がある。蚕の都合と、葉の都合と、その両方を待つ。
大きくなった蚕には、葉を一枚ずつ摘むのではなく、枝ごと刈って与える。条桑育(じょうそういく)という。鎌で枝を伐り、そのまま座に渡す。一枚ずつ葉をむしっていたら、五齢の食欲には到底間に合わない。枝ごとなら、刈るのも与えるのも速い。稚蚕のうちはやわらかい葉を選んで摘み、大きくなったら枝ごと刈る。蚕の口の育ち方に合わせて、こちらの刈り方も変えていく。畑での手の使い方が、棚の上の齢と連動している。
餌の畑は、災害の畑でもある。梅雨どきには縮葉病が出る。葉が縮れて茶色く枯れ込み、その葉はもう蚕にやれない。台風が来れば、伸びた枝が根元から折れる。継いで何年目だったか、収穫前の枝が一晩の突風でなぎ倒され、翌朝の畑に立ち尽くしたことがある。畑の災害は、そのまま蚕の災害だ。棚の中の蚕は無事でも、外の桑が倒れれば、明日やる葉がない。蚕は待ってくれないのに、餌のほうが先に倒れる。
冬、蚕のいない畑で剪定をする。来年どこから枝を出させるか、その型を決める切り方だ。株を低く仕立てるか、中ぐらいに上げるか。切る位置で、春に出る枝の数と高さが変わる。葉の摘みやすさも、条桑の刈りやすさも、この冬の一刀で決まってしまう。雪の前の冷たい畑で、まだ芽もない枝を見ながら、来年の蚕の口を想像して鋏を入れる。今いない虫のために、今、枝を切る。
こうして一年は、二つの暦が重なって回る。蚕の暦——掃き立て、眠、上蔟、繭かき。桑の暦——芽吹き、摘み、刈り、剪定。この二つを別々に回すのではなく、どちらかがもう一方を呼ぶようにして回していく。畑を見れば棚がわかり、棚を見れば畑がわかる。二重の暦を回すこと、それが養蚕なのだ。蚕を読むとは、桑を読むことでもあったのだと、いまの俺は思っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。