試し書きの、紙
店を継いだ年、紙を眺める癖がついた

イマムラチヨ(64歳・文房具店主42年)

文房具屋を四十二年やっている。父から店を継いだのが一九八四年、私が二十二のときだ。鉛筆一本から、領収書の束まで売る。店の隅には、万年筆の試し書き用の紙がいつも置いてある。客が買う前にペンを試すための、ただの白い紙だ。これを毎晩、店を閉めるときに新しいものと取り替える。

夕暮れの店内に、鉛筆の匂いが静かに満ちる時間がある。父はその紙を、何も見ずに捨てていた。私は継いだ年の秋から、捨てる前に一度だけ眺めるようになった。なぜそうしたのか、はっきりとは思い出せない。ただ、白かったはずの紙に、その日一日ぶんの字が溜まっているのが、もったいないような気がしたのだと思う。

試し書きの紙には、いろいろな字が残る。自分の名前を練習した跡。ぐるぐると渦を巻いただけの線。「あいうえお」と几帳面に書いた人。どこかの住所の、丁目だけ。値段を計算した数字。人はペンを試すとき、頭に浮かんでいるものを、無意識に書いてしまうらしい。これから書くはずのものを、ペンの調子を見るふりをして、先に書いている。

私は、その字を読まないことにしている。名前が書いてあっても、誰の名前かは追わない。住所も、最後まで読まない。読むのは、字の形だけだ。線に力があるか、ためらいがあるか、急いでいるか。それだけを見て、紙を裏返して、新しいのを置く。のぞき見ではない、と自分に言い聞かせているのかもしれない。

春になると、店の自由帳が山になる。新学期だ。鉛筆の名入れ機を出してきて、一本ずつ名前を彫る。注文票には、子の名が並ぶ。同じころ、試し書きの紙には、たどたどしい平仮名が増える。まだ鉛筆を握り慣れていない手の字だ。子が自分の名前を、初めて自分の道具で書こうとしている。

それから何年かして、同じ町の子が、今度は履歴書用の黒いペンを買いに来る。試し書きの紙には、自分の名を、よそ行きの楷書で書いた跡が残る。背筋を伸ばした字だ。さらに何年かすると、香典袋を買う人が増える時期が来る。香典袋は、レジの後ろの、客から見えにくい棚に置く。薄墨の筆ペンも一緒だ。試し書きの紙の、薄い墨の線。それを見た日は、紙を裏返すとき、少し手が止まる。

領収書の束を、月の初めにまとめて買っていく商売人がいる。インクの色見本に何度も同じ青を試していく人がいる。買われていく文房具は、その人がいま人生のどのあたりにいるかを、静かに教えてくれる。文房具は、人生の暦なのだと思う。新学期の自由帳から、香典袋の薄墨まで、店には一年と、一生とが、両方流れている。

あの年の秋、捨てる前の紙を眺めたあの晩から、私はずっと、試し書きの紙の観察者になった。四十二年、毎晩、一日ぶんの字を見て、形だけを読んで、裏返してきた。父が見なかったものを、私は見てしまった。あの一晩の癖が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も店を閉めるとき、紙を一枚、そっと取り替える。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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