香典袋の、棚
店でいちばん静かな客が、ここで足を止める

イマムラチヨ(64歳・文房具店主42年)

香典袋の棚は、店でいちばん静かな客が立つ場所だ。窓の外がどんよりと曇った日には、その静けさがいっそう深くなる。ノートを選ぶ子は声を出す。万年筆の客はインクの話をしたがる。けれど香典袋の前に立つ人は、たいてい黙っている。棚の前で迷う時間が、ほかのどの棚より長い。

「どれがいいんでしょう」と尋ねられる頻度が、店でいちばん高い棚でもある。御霊前か、御仏前か。仏式でも、四十九日を過ぎれば御仏前にする。けれど通夜や葬儀のときは御霊前が無難だ。蓮の花の模様が入ったものは仏式専用、神式やキリスト教には使えない。そういうことを、客は知らないまま棚の前に立つ。知らなくて当たり前なのだ。誰も、香典袋の使い分けに詳しくなりたくて生きてはいない。

水引のことも、よく訊かれる。本数は奇数が基本で、五本が標準、丁寧にするなら七本。結び方は、二度と繰り返さないようにという意味で、結び切りにする。蝶結びは何度あってもいい慶事のものだから、弔事には絶対に使わない。金額に合った袋の格、というのもある。一万円なら水引が印刷されただけの簡素なもの、五万円を超えるなら、実際の水引がかかった立派なものを選ぶ。中身と袋が釣り合わないと、かえって失礼になる。

薄墨の筆ペンは、その隣に並べてある。涙で墨が薄まった、急いで駆けつけたので墨を濃く磨る時間がなかった——薄墨にはそういう心持ちが込められている、と言われている。買う人は、香典袋と一緒に、その筆ペンを黙ってレジに置く。表書きは薄墨で、と知っている人だ。中袋の、住所と金額の書き方を訊かれることもある。金額は旧字で書くものですよ、と教えると、たいていの人が少し驚いたような顔をする。

客にもいろいろある。慣れた手つきで、同じ袋を二枚買っていく年配の客がいる。一枚は予備だ。書き損じたときのために、もう一枚。その手つきを見ていると、この人はもう何度も、この棚の前に立ってきたのだと分かる。若い会社員が、会社名で頼まれて来ることもある。総務に言われたんでしょうね。袋の格も、表書きも、自分では決められないという顔をして、メモを見ながら買っていく。

祝儀袋の棚を、香典袋の隣に置くか、離して置くか。これは店主の思想が出るところだと思う。隣に並べる店もある。慶弔まとめて、という考え方だ。私は離している。慶事と弔事を同じ棚で選ばせたくない、という気持ちが、どこかにあるのかもしれない。けれど、それも私の勝手な思い込みなのかもしれず、客はそんなことを気にしていないのかもしれない。

香典袋の補充は、なくなる前にしておく。これだけは切らしてはいけない棚だ。慶事の品なら、なければ明日でいい。けれど弔事は待ってくれない。急に必要になって駆け込んでくる客に、「売り切れです」とは言えない。だから棚の奥には、いつも何枚か余分に入れてある。会社の慶弔用に、まとめて買い置きしていく総務の人もいる。いつ要るか分からないから、と。

香典袋は、誰も「好きで」買わない、たった一つの文房具だ。鉛筆も、ノートも、万年筆も、客は何かを始めるために買う。けれど香典袋だけは、誰かを見送るために買う。だからこそ、選びやすい棚にしておくのが店の仕事なのだと思う。香典袋の棚は、いわば町の弔いの窓口なのだ。静かに迷う客の背中を、四十二年、私はこの棚のそばで見送ってきた。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。