イマムラチヨ(64歳・文房具店主42年)
三月は、奥の名入れ機が一日じゅう熱を持っている。鉛筆一ダースに、金や銀の箔で名前を焼きつける機械だ。父が入れたもので、もう四十年動いている。一本通すたび、送りが「カチッ」と鳴る。十二本めが通って音がやむと、店の奥が急に静かになる。その静けさで、一ダース仕上がったと分かる。新一年生の親が、入学までにと、この時期いっせいに名入れを頼みに来る。
名入れは、活字を一文字ずつ拾うところから始まる。小さな引き出しに、平仮名も漢字も、ばらばらに収まっている。注文票を見て、「さ」と「と」と「し」をつまみ出し、並べて、銀の箔のリールを送って機械に通す。熱と圧で、箔が軸に焼きつく。「子」の活字は、もう十年、一本も拾っていない。引き出しの底に減らないまま溜まっている。代わりに「翔」が足りなくなって、去年、二つ追加で発注した。流行は、注文票より先に、この引き出しの偏りに出る。
名入れの相談で、いちばん多いのは「平仮名か、漢字か」だ。私は平仮名を勧める。一年生は、自分の名の漢字をまだ読めないことが多い。「凜」も「翔」も、本人が読めなければ、配られた鉛筆が自分のものだと分からない。平仮名なら分かる。鉛筆を握るのは子どものほうだから、と言うと、たいていは平仮名にしてくれる。
双子の注文も、春には来る。同じ箱で渡したいから、赤い軸と青い軸に、それぞれの名を入れる。色で分けておけば、二人が取り違えない。お下がりを断る親もいる。上の子の名前が入った鉛筆を、下の子が嫌がるのだ。一度名を焼きつけると、その一本は、もうその子のものになる。色違いの軸も、断られるお下がりも、同じことを言っている。
ピークは入学式の前の週だ。納期は守る。式に間に合わなければ、その鉛筆は意味を失う。だから三月の終わりは機械を止めない。そして一文字拾い間違えれば、その一ダースはまるごとやり直しだ。去年、「ひろと」を「ひろど」と打った。濁点ひとつで、十二本が売り物でなくなった。けれど、その十二本は「誰のものでもない」のではない。どこかの町に、本物のひろど君が、たぶんいる。私が間違えて作ったのは、会ったこともないその子の鉛筆だ。
四月の半ばに、ぽつんと注文が来ることがある。転校生だ。みんなが揃えたあとに、一人だけ、新しい町の店に名入れを頼みに来る。その子の名前を拾うとき、私は活字を二度確かめる。間違えれば、初めての町で、また待たせてしまう。だから転校生の鉛筆は、いちばん慎重に通す。一本めの送りが鳴るまで、注文票から目を離さない。
「ひろど」の十二本は、捨てずに引き出しにしまってある。間違えた名前の鉛筆を、なぜか私は捨てられない。会ったこともないひろど君の名が、銀の箔で、確かにそこに焼きついている。「子」の活字が減らないまま底に溜まっているのと、同じ引き出しだ。今日も奥で、送りが鳴る。十二本めが通って、また店の奥が静かになる。