イソガイユウ(46歳・醤油蔵の諸味番14年)
諸味の番を十四年やっている。毎朝、木桶の泡と香りを見回るのが私の仕事だ。けれど一年に何度か、見回るだけでは終わらない日が来る。二年寝かせた諸味を搾る、圧搾の日だ。一年の集大成というべき、蔵にとって特別な一日である。
搾る前の晩から、私は桶の札を並べて順番を考える。同じ蔵でも、桶ごとに熟成の進みは違う。泡が早く落ち着いて、香りが奥のほうで丸くなった桶は、もう待てない。先に搾る。逆に、まだ縁で小さな泡がぽつぽつ動いている桶は、あと一日二日、置いておく。搾る順番というのは、つまり、どの桶がいちばん「ここだ」という顔をしているかの順番だ。一年見てきた桶の、最後の点呼のような気持ちになる。
圧搾の朝は、蔵にふだんいない顔が集まる。営業も、事務の人も、近所の手伝いも来て、蔵がにぎやかになる。みんなが集まるその様子を見ていると、やはりこの日が一年でいちばん大事なのだと、しみじみ感じずにはいられない。私は濾布を抱えて、搾り場に下りていく。
諸味を搾るには、まず布に包む。濾布という、目の細かい厚い布だ。これの畳み方が、新入りには越えられない壁になる。布の真ん中に諸味を流し、四隅を順に折り込んで、合わせ目をずらして重ねていく。雑に畳むと、積んで圧がかかった瞬間に合わせ目から諸味が逃げ、濁った汁が漏れる。私も最初の年は何度も漏らした。頭の畳んだ布は、何百枚積んでも一滴も横に逃げない。指が布の張りを覚えるまでに、たぶん三年かかった。
包んだ布を、搾り槽に何十枚、何百枚と積み重ねていく。そして最初は、機械の圧をかけない。布と布の重みだけ、つまり重力だけで、いちばん上から下へ、諸味がじわりと滲んでくる。これを自然圧搾という。生揚げの最初の一滴は、こうして人が押す前に、布の合わせ目からひとりでに落ちてくる。澄んでいて、いちばん雑味がない。重力だけで落ちきってから、はじめて機械でゆっくり押す。急いで押せば濁る。一年待ったものを、最後の半日で急いではいけないのかもしれない。
最初の一滴を、私は指に受けて舐める。火入れする前の、生の生揚げだ。塩の角がまだ少し立っているが、その奥に、桶ごとの個性がはっきり出る。甘く沈む桶、酸が後から来る桶、香りが鼻に抜ける桶。一年、毎朝音を聞いてきた桶の答えが、舌の上で一点になる。札と味を照らし合わせて、ああ、あの泡の桶はこの味になったかと、私は心の中で答え合わせをする。
搾りきった布をほどくと、平たい板のようになった搾りかすが残る。醤油粕だ。これは捨てない。乾かして、近くの牧場へ飼料として渡る。牛が食う。蔵は、一滴の生揚げから一枚の粕まで、何も無駄にしない。布をほどきながら、私はいつも、この粕の重さの分だけ醤油が出たのだと思う。
搾った生揚げは、その日のうちに火入れにかかる。釜で熱を通すと、生のときとは別の、香ばしい醤油の香りが立つ。それが蔵じゅうに広がって、外を歩く人にまで届く。火入れの香りがした日は、ああ今日は搾ったんだなと、町の人にもわかるらしい。一年でいちばん、蔵が匂う日だ。
櫂を入れ、泡を見て、香りを嗅いで過ごした一年が、この一日の布と一滴に集まってくる。答え合わせの日が蔵の正月なのだ、と私は思う。今年も無事に搾れた。蔵の柱は今年もまた、少しだけ濃く黒くなった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。