諸味の、泡
櫂を入れる前に、まず泡と香りを見ろと言われた日

イソガイユウ(46歳・醤油蔵の諸味番14年)

諸味の番を十四年やっている。諸味というのは、大豆と小麦と麹と塩水を木桶に仕込んで、一年から二年、発酵させていくものだ。それが搾られて、はじめて醤油になる。私はその、まだ醤油になる前のものを、毎日見回っている。

三十二歳まで、私は食品会社で営業をしていた。スーパーの棚に自社の商品を並べてもらうために頭を下げる仕事だ。悪い仕事ではなかったが、自分が何を売っているのか、だんだんわからなくなっていった。二〇一二年、縁あって地方の小さな醤油蔵に拾われた。発酵の神秘に惹かれた、と言えば聞こえはいいが、本当のところは、目に見えるものを相手にしたかっただけかもしれない。

蔵に入って最初の数ヶ月、私は櫂入ればかりやらされた。櫂入れというのは、木桶の諸味を櫂棒で攪拌する作業だ。酸素を送り、温度を均す。これがとにかく重い。発酵の盛りの諸味は粘っていて、櫂が沈み込むように入っていく。一本の桶を混ぜ終えるころには、腕が上がらなくなった。早く一人前になりたくて、私はただ力任せに櫂を回していたのだと思う。

ある朝、蔵人頭に呼び止められた。私が桶の前に立って、いきなり櫂を握ったのを見ていたらしい。頭は言った。「諸味は生きてる。毎日同じ顔はしない。櫂を入れる前に、まず泡と香りを見ろ」。私は櫂を置いて、桶の縁から中を覗き込んだ。表面に、泡が出ていた。それまで、ただの泡だと思っていた。

頭は桶ごとに泡が違うのだと言った。発酵が盛んな桶は、細かい泡がびっしりと、湧くように出る。落ち着いた桶は、大きな泡がゆっくりと一つ二つ。香りも違った。甘い桶、酸の立つ桶、まだ青くさい桶。同じ日に同じ材料で仕込んだはずの桶が、札を見なければ見分けがつかないほど近いはずの桶が、それぞれ違う顔をしていた。蔵に住み着いた目に見えない微生物たちの、それぞれの仕事の跡なのだろう。先人たちはこうして、見えないものと付き合ってきたのだ。

季節でも変わる。夏は発酵が急に進む。桶の中で温度が上がり、泡が一気に増えて、香りもむっと強くなる。下手をすると進みすぎる。冬は逆で、諸味は眠ったように静かになる。泡も少ない。夏は抑えるように、冬は励ますように櫂を入れる、と頭は言った。たぶん、そういうことなのだと思う。諸味の機嫌を読んで、それに合わせて手を変える。力任せに回していた自分が恥ずかしかった。

仕込みから一年あまりが過ぎて、はじめて圧搾の日に立ち会った。諸味を布に包んで、何枚も何枚も積み重ねて、ゆっくりと搾っていく。布の間から、生揚げ醤油の最初の一滴が落ちてきた。一年見守った桶の、最後の姿だった。その色の深さと、立ちのぼる香りに、私はしばらく言葉が出なかった。あの泡たちが、これになったのだ。

蔵の柱や梁は、真っ黒だ。百年分の菌が住み着いている。新入りのころ、私はそれを汚れだと思って拭こうとして、頭に止められた。あれは掃除しすぎてはいけない、蔵の味そのものなのだと。きれいにすればいい、というものではない。残すべきものを残す。それも、見えないものと付き合う知恵の一つなのだろう。

あれから十四年。私はもう、桶の前に立てば、覗き込む前に泡の音でだいたいの機嫌がわかるようになった。諸味は今日も同じ顔をしていない。あの朝、頭にかけられた言葉が、泡と香りの観察者としての私を、いまの私にしてくれた。木桶の縁に手をかけて中を覗くたび、私はまだ、見えないものと話している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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