桶の、修理
百年使う容れ物の中に入って、内側から蔵を見上げる日

イソガイユウ(46歳・醤油蔵の諸味番14年)

諸味の番を十四年やっている。毎朝、木桶の泡と香りを見回るのが私の仕事だ。けれど搾りを終えて桶が空になると、しばらくの間、見回るのとは別の仕事が来る。空いた桶を洗い、乾かし、傷んだところを直す。容れ物の手入れである。百年使う容れ物を守るというのは、蔵にとってとても大切な仕事なのだ。

搾りきった桶は、底に諸味の名残がこびりついて、酸の匂いが立っている。私は長靴を履いて、桶の中に入る。大人が両手を広げても端に届かない大きさだ。中から見上げると、いつも上から覗いている桶が、別の世界に見える。タワシで側板を擦り、底をさらい、水で流す。内側から見る蔵というのは、まるで井戸の底から空を見上げるようだった。

洗った桶は、すぐには仕込まない。日の差す場所に口を開けて、何日もかけて乾かす。中が湿ったままだと木が傷むからだ。乾いていくと、木の匂いが戻ってくる。諸味の酸が抜けて、杉の、少し甘い匂いになる。空の桶の中で、私はその匂いが戻るのを待つ。

乾かしている間に、箍を点検する。箍というのは桶を締めている竹の輪だ。何重にも巻いて、側板がばらけないように縛っている。これが、年とともに緩む。指で弾くと、締まっている箍は硬い音で、緩んだ箍は鈍い。緩んでいたら締め直すのだが、これは私の手には負えない。桶職人を呼ぶ。木桶を作れる職人は、いまや日本に数えるほどしか残っていないのだそうだ。来てくれるだけでありがたい。

漏れも探す。桶の外側を、屈んで一周見て回る。塩分を含んだ諸味が滲み出た跡は、乾くと白い筋になって側板に残る。それを見つけたら、内側から当て木をして応急にする。職人が来るまでの、その場しのぎだ。白い筋は、桶が静かに上げている悲鳴のようなものだと思う。見落とすわけにはいかない。

うちの蔵には、桶に世代がある。いちばん古いのは明治のもので、側板が飴色を通り越して黒い。昭和に作られた桶、平成に新調した桶。札の裏に仕込んだ職人の名と年が書いてある。頭はそれを桶の家系図と呼ぶ。古い桶ほどよい醤油になると言われるが、古いということは、それだけ手入れに手がかかるということでもある。

いちばん新しい桶は、まだ木の香りが強すぎる。新桶に仕込むと、最初の一、二年は杉の香りが諸味に移ってしまう。だから新桶には、香りが移ってもよい仕込みを選んで入れる。何度か使ううちに香りが落ち着いて、ようやく一人前の桶になる。新桶を育てるというのは、人を育てるのと似ている。最初は気難しいが、年を重ねるごとに頼もしくなっていく。

洗って乾いた空の桶の中に、もう一度立ってみることがある。諸味で満ちているときは、あの細かい泡の音で桶が鳴っている。けれど空のときは、何の音もしない。自分の足が底を踏む音だけが、桶の壁に当たって返ってくる。一年後にはまた、ここが諸味で満ちるのだろう。その静けさは、嵐の前の凪のようでもあった。

桶を守ることが、蔵を守ることなのだ。毎朝の見回りも、年に一度の桶の手入れも、つまりは百年の容れ物を次の百年へ渡すための仕事なのだと、いまでは思う。今年もまた、空になった桶を洗い、乾かし、白い筋を探した。蔵の桶は、今年も静かに私を待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。