ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
マンションポエムの余白を調べていて、ひとつ気づいたことがある。パンフレットの末尾や営業メールの締めに、あの定型句が妙に頻繁に出てくるのだ。「〜していただけますと幸いです」。内覧予約、書類の返送、ローン事前審査の申込み、すべてこの言い回しで着地する。命令ではない。懇願でもない。しかし返さない選択肢は、実質的に存在しない。
この構文を分解してみる。「していただける」は受益の可能表現で、話し手が聞き手の行為から利益を受ける可能性を述べている。「ます」の丁寧形がかぶさり、「と」の条件節が続き、「幸い」で着地する。直訳すれば「あなたが〜してくれる、その場合に、私は幸せです」。字義だけ取れば、話し手の感情状態の予告にすぎない。行為の要求はどこにも明示されていない。
では「幸い」の主語は誰か。文法的には話し手である。私が幸せになる、と言っているだけだ。聞き手にはその幸せを提供する義務はない、建前としては。ところが実際の運用では、主語はすり替わる。聞き手が動かなければ、話し手の幸福が欠ける。その欠損の責任が、静かに聞き手側へ転送される。主語は一人称のまま、責任の宛先だけが二人称に移動する。この非対称が、この構文の核心だろう。
「と」の条件節も興味深い。日本語の条件接続「と」は、前件と後件の結びつきが自然法則的・恒常的であることを含意する。「春になると花が咲く」の「と」である。つまり「していただけますと幸いです」は、あなたの行為と私の幸福を自然法則のように結びつけている。意志的な交渉の余地をあらかじめ閉じているのだ。「〜してくれたら嬉しい」の「たら」なら仮定が緩む。「ば」ならまだ条件性が残る。「と」は因果を既定事実として提示する。
さらに文末の「です」。感情述語を断定の助動詞で締めることで、話し手の内面の報告が、客観的事実の通告に近づく。「幸いに存じます」「幸甚です」も同系だが、「幸いです」は中間の硬度を持ち、メール文末として最も摩擦が少ない。摩擦の少なさが、拒否の端緒も奪う。
運用論的にはどうか。この言い回しが出現するのは、ほぼ例外なく、依頼者の地位が受け手より高いか、少なくとも対等以上の文脈である。上司から部下、取引先から下請け、売り手から見込み客、行政から市民。逆方向、つまり部下から上司への依頼に「幸いです」を使うと、座りが悪くなる。なぜなら「私の幸福のために動け」という含意が、下から上への命令として機能してしまうからだ。
マンションの販売図面に戻る。「ご来場いただけますと幸いです」。この一文は、来場しない自由を形式上は保証しながら、来場しなかった場合の居心地の悪さを聞き手の内側に生成する。断る側が理由を用意しなければならない。依頼者側は理由を一切述べていないにもかかわらず、である。ポエムが物件の欠点を黙らせるのと同じ構造で、この構文も拒否の言葉を黙らせる。丁寧さの外見を保ったまま、判断のコストを相手側に全額付け替える装置。それがこの定型句の正体ではないか。