網目の、寸法(第二稿)
漁網店に入った年、選ぶ道具だと教わるまで

イザヨイマナ(44歳・漁網の仕立て職人22年)

網地を裁ち、縫い合わせ、ロープと浮子と沈子を取り付け、破れを直す。それが二十二年、私の手の仕事だ。指の腹にはナイロン糸の樹脂がいつもうっすら残っていて、石鹸ではなかなか落ちない。

網には「目合い」という寸法がある。網目ひとつの内寸のことだ。三十ミリの網と三十三ミリの網では、通り抜ける魚が違う。私はその三ミリを、当て木の綛(あぐり)に糸をかけて、目で迷わず出す。糸を結ぶ前に、その網が何を獲って何を逃がすかは、もう決まっている。

二〇〇四年、二十二歳で漁網店に入った。最初の数ヶ月は網地を畳み、網針に糸を巻いた。広げた網は作業場の床いっぱいに、青く、ただ平らに横たわっていた。私にはそれが、魚を捕らえる袋にしか見えていなかった。

ある日、親方が一枚の鯵刺し網の注文票を私に見せた。三十三ミリ、と書いてあった。「網は獲る道具じゃない。選ぶ道具だ。目合いが魚を選ぶ。小さいのは逃がしてやる寸法だ」。三十三ミリの目を、卵を持たない若い鯵は通り抜ける。一ミリ詰めれば、その若魚まで残る。捕らえる袋だと思っていたものが、逃がす寸法を測る道具に見えはじめた、そのときからだ。

網針の運びも、その頃に覚えた。破れを直すのは、穴を塞ぐことではない。元の目合いと同じ寸法で編み直すことだ。一目でも詰めれば、そこだけ魚を選び損なう。そして破れの形を見れば、何が起きたか分かる。鋭く一直線に裂けていればスクリュー、ぎざぎざに食いちぎられていればフカ、岩に擦れたものは縁の糸がささくれている。

漁法で設計はまるで違った。刺し網は目合いに魚を刺して獲るから、狙う魚に寸分の狂いも許されない。定置網は魚の通り道に仕掛けて待つ、大きく複雑な造り。底引きは海底を引くから丈夫さがいる。同じ網でも、浮子と沈子のかけ方ひとつで、水の中で網が壁のように立つか、袋のように開くかが変わる。陸で平らに広げているときには見えない、その水中の姿勢を、私は重さを配りながら頭の中で立たせていく。

時化の日は、浜の修理場に破れた網が積み上がる。出漁できない漁師が抱えて持ち込んでくるからだ。三十三ミリの網の注文が、いつしか私一人に来るようになっていた。あるとき、ある漁師が「親方じゃなくて、お前さんに頼む」と言った。私はその網の縁を、注文より一ミリだけ大きく決めた。若魚をもう少し逃がす寸法に。親方には何も言わなかった。漁師も気づかなかったと思う。けれど私の手が、初めて自分の判断で寸法を選んだ日だった。

二十二年で直した網は数え切れない。覚えていない。覚えているのは、決めた寸法のほうだ。三十三ミリ。あの日、一ミリ大きくした縁。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。