核は強い。垣網・運動場・箱網という「導いて溜める」設計、部位ごとに目合いと糸を変える分業、番号を振って何百メートルを裁つ工程、縁綱に力を肩代わりさせる縫合、そして陸で半分・海で半分という二段階の組み立て。この構造は、前作の「目合い」に劣らず固有で、説明が要らないほど強い。問題は、書き手がその構造を信用せず、「海の建築家」という既製の比喩で全体を包み、最終段で図面の意味をもう一度言葉で解説して回収してしまっていることだ。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。この稿はところどころ、網を持ったことのない人の手つきになっている。
「一枚の網ではなく、海の中に建てる一棟の建物だと言ってもいい。私はいわば、海の建築家なのかもしれない。」
「海の建築家」は、この職業を一度も触ったことのない人がいちばん最初に思いつく比喩です。手垢のついた肩書きを自分から名乗ってしまうと、以降に出てくる垣網も箱網も、その既製の額縁の中の挿絵に格下げされる。建築の比喩は、語り手が言うのではなく、網地と縁綱の描写から読者が勝手に立ち上げるべきものです。最終段の「漁具を作るというより、海の中に建物を建てる仕事なのだと思う」も同じ装置の反復で、二度貼られたシールはもう剥がれている。
「逃がすのではなく、導いて溜める設計だ。」は断言できているのに——「縁綱の取り付けが甘いと、建物ごと潮に持っていかれてしまうのかもしれない。」「漁の半分は決まっているのかもしれない」式の「かもしれない」が要所に挟まる。
二十二年、寸法をミリで決めてきた手が、いちばん肝心な「縁綱が甘いとどうなるか」を「かもしれない」で逃げるのはおかしい。職人なら、甘い縁綱がどう裂けてどう流れたかを一度は見ているはずで、それは断定で書ける。留保語尾は若手の不安の描写ではなく、断言を避ける作者の保険に見えます。前作の「決めた寸法のほうだ」という強さを、なぜここで手放したのか。
「一枚ずつに番号を振る。垣網の三番、運動場の天井、箱網の側——札を結びつけておかないと、組み立てる段になってどれがどれだか分からなくなる。」
ここは本来この稿の心臓部なのに、観察が一段浅い。札は何に書くのか(防水の木札か、油性ペンか、それとも網地に直接編み込む色糸か)。番号の振り方に流儀はないのか。実際に何百メートルを番号で管理した人間なら、「分からなくなる」ではなく、一度どれかを取り違えて沖でやり直した話が一行出るはずです。「分からなくなる」は失敗の概念であって、失敗の記憶ではない。
「広げた網地の海の上を、自分が小さな船になって渡っていくような心地がする。」
美しい比喩のつもりでしょうが、これは生成された“それっぽさ”の典型です。床いっぱいの網の上を歩く人間の身体に本当に来るのは、詩的な船の心地ではなく、踏むと滑るナイロンの感触、膝をつくと網目が痕になること、立ち上がるとき糸を踏んで引っかける厄介さ——そういう即物のはずです。比喩が、身体より先に立っている。
「私は自分の縫った網が、水の中で柱を立て、壁を張り、部屋を開くところを、見ることができない。図面の上の建物を想像しながら、ただ床で縫っているのだとも言える。」
「柱を立て、壁を張り、部屋を開く」はまた建築の比喩の反復で、しかも「見ることができない」と書いて観察の義務を免除している。だが仕立て職人なら、引き上げられて戻った網の傷み(次段で自分で書いている)から、海の中で何が起きたかを逆算できるはずです。「見ていない」のではなく「傷みから読む」のがこの人の専門で、そこを書けば想像の繰り言は要らない。第6段の傷みの観察と、この段は本来ひとつに溶けるべきものです。
「一枚の網は道具だが、定置網は構造物だ。壁と部屋を分け、力の道を綱に逃がし、海と陸の二段階で組み立てる。」「陸で縫っているのは図面で、本体は海が立てる。私はその図面職人なのだろう。」
最終段がまるごと要約です。垣網・箱網・縁綱・引き上げの傷みを順に見せてきたのだから、「壁と部屋を分け、力の道を綱に逃がし」は読者がもう知っている。それを抽象語で言い直すたびに、前段までの具体の値打ちが下がる。「私はその図面職人なのだろう」という自己規定の一文は、前作の「あの日、一ミリ大きくした縁。」のような動作の余韻に比べて、明らかに格が落ちます。主題を主題文として書いたら、それは要約であってエッセイではない。
「役割が違えば網地も違う。建物と同じで、柱に使う材と、間仕切りに使う材は、はじめから別なのだと思う。」
後半の「柱に使う材と、間仕切りに使う材は、はじめから別」は、大工の回想にも、仕立屋の回想にもそのまま置ける汎用文です。前半の「役割が違えば網地も違う」だけで意味は通っており、建築への言い換えはまた装置の反復にすぎない。具体は前段で「垣網は目合いを大きく糸を細く、箱網は詰めて太く」と書けているのだから、抽象でのダメ押しは削ってよい。
残すべきは五つ。垣網・運動場・箱網の「導いて溜める」見取り図、部位で変える目合いと糸の太さ、番号を振った何百メートルの裁断、縁綱に力を肩代わりさせる縫合、そして引き上げた網の傷みから海中の無理を読む眼。削るべきは、「海の建築家」「図面職人」という自称の額縁、要所の「かもしれない」、「小さな船」の書き割り、そして最終段の主題解説。改稿では、「海で何が起きたか見ていない」と逃げる段を、引き上げの傷みを読む段に溶かし込み、番号の取り違えを一度だけ具体で書いてください。建築の比喩は一度も自分から言わないこと。垣網と箱網と縁綱を正確に書けば、建物は読者の頭の中に勝手に立つ。意味は構造が運ぶ。説明が運ぶのではない。