※本エッセイはすべて創作です。登場人物・学校・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。
角田 樹(カドタ ミキ)
1年3組。窓際から2番目の席。あんまり喋らない。
文化祭で、たぶん、自分の人生で初めて、誰かに「拾われた」気がする。その記録。
スローガン会議。タケウチが前で揉めてた。「盛らないスローガンにしたい」って。みんなが反論したり、賛成したり、空気が重くなったり、軽くなったり。
俺は黙ってた。いつもどおり。
でも、議論が同じところを3回くらいぐるぐる回ったとき、しんどくなった。これ以上ぐるぐる回ったら、誰かが心折れる。
たぶんタケウチが折れる。あいつ、汗かいてた。
口が勝手に動いた。「去年のスローガン覚えてる人いる?」
言ったあと、教室がしーんとした。
みんなが俺を見た。一斉に。窓際から2番目の席に、26対の目が向いた。
……これがしんどい。これがいちばんしんどい。
顔が熱くなった。机を見た。続けないと、と思って続けた。「俺も覚えてない。スローガンってそういうもんじゃん。誰も覚えてないけど、決めなきゃいけないやつ」。
言い切ったあと、息ができた。みんなの目が外れた。タケウチが何か言った。議論が動いた。
俺は窓の外を見た。
家に帰って、ベッドで天井を見た。
明日から、みんなが俺に話しかけてくるかもしれない。「カド、どう思う?」って。今日のあれで「実はちゃんと考えてる人」みたいなレッテルが貼られたかもしれない。
違う。俺は何も考えてない。あれは口が勝手に動いただけ。ぐるぐるが止まればよかった。それだけ。
明日、誰かに「カド、また何か言って」って言われたら、何も出てこない気がする。期待されるのは、しんどい。
窓側の席にしてもらってよかった、と思った。窓は、誰も期待してこない。
翌日、誰も俺に話しかけてこなかった。
普通に、いつもどおり。タケウチもサカモトもヤマモトも、それぞれ忙しそうにしてた。
俺は窓際でいつもどおり、いつもの友達と、いつもの会話だけした。
ホッとした。
……ホッとした、と思ったあとに、ちょっとだけ、さみしいような感じが、あった。気がする。
それは認めない。認めない、って決めた。窓の外を見た。
準備の日。たこ焼き屋の仕込み。
俺はキャベツを切る係になった。家でやらされてるから上手い。誰かに言われる前に、自分から「キャベツ切る」って手を挙げた。
窓際の席で挙げた手は、誰の目にも入らなかった。たぶん。だから、もう一回、もうちょっと声を出して言った。「キャベツ、切ります」。
サカモトが「お、ありがとう」って言って、まな板を出してくれた。
包丁。トン、トン、トン。
手が動く。視線は手元に集中していい。誰も俺の顔を見ない。心地いい。
気がついたら、キャベツを2玉、3玉、4玉と切ってた。誰よりも切ってた。
ヤマモトが通りがかって、「お前、キャベツ刻むのうまいな」って言った。
俺は「うん」って言った。
「なんで」って聞かれた。
「家でやらされてるから」って答えた。
それで会話は終わった。3年同じクラスで、たぶん、初めてちゃんと話した。
会話が短いほうが、俺には合っている。
当日、俺は鉄板の前には立たなかった。ヤマモトが立った。
俺は裏方。生地のボウルを混ぜたり、タコを切ったり、皿を補充したり、ソースを足したり。動き続けた。
表に出ない。お客さんに「いらっしゃいませ」を言わない。それでよかった。
入り口の壁に、あのスローガンが貼ってあった。タケウチが言い出して、45分かけて決まったやつ。俺の「去年のスローガン覚えてる人いる?」のあとに、空気が変わって、それでようやく着地したやつ。
当日、俺はそれを横目で見た。読まなかった。読まなくても、知ってる。
知ってるってことは、そこにあった、ってことだ。誰のものでもなく、誰のものでもある。窓際から2番目の席の俺のものでも、ある。
片付けの時間。たこ焼きは212個売れた。300には届かなかった。
沈黙が流れた。みんな疲れてた。
俺は、その沈黙を埋めようとして、また口が勝手に動いた。「212個って中途半端だな」。
言ったあと、しまった、と思った。2回目はやばい。
でも、ヤマモトが「来年は300いくだろ」って引き取った。
引き取られた、と思った。
「中途半端だな」が「来年は300いくだろ」になって返ってきた。これは、俺一人で抱えてるよりずっといい状態だ。
みんながちょっと笑った。俺じゃなくて、ヤマモトの返しに。俺が笑わせたわけじゃないけど、俺がいなかったら、その笑いは生まれなかった。
俺は「中途半端だな」を言って、ヤマモトが「来年は300いくだろ」を言った。それで揃うのかもしれない。揃う、というほどでもないけど。
帰り道、自転車を漕ぎながら、考えてた。
俺は今日、2つ言った。「キャベツ切ります」と「212個って中途半端だな」。
「キャベツ切ります」はサカモトが受け取った。「212個って中途半端だな」はヤマモトが受け取った。
受け取られた言葉は、俺の手元から離れて、別の場所で別のかたちになった。サッカーボールを誰かに渡したみたいに。
俺の言葉が、誰かに拾われた。こういうの、俺、初めてかもしれない。
窓の外を見ているだけだった17年。
そのあいだ、もしかしたら、待っていたのかもしれない。
給食。カレーの日。
俺はとなりの席のヨシダに、ぽつりと言った。「今日のカレー、辛くね?」
ヨシダは「マジで辛い」って返した。
それだけ。それだけの会話。
でも、これは、文化祭前の俺だったら、たぶん言わなかった一言だった。スルーされたら気まずいから言わない、で済ませてた。
今日は言ってみた。スルーされてもいいや、と思って。スルーされなかった。「マジで辛い」が返ってきた。
会話は、それで終わった。続きはなかった。続きがなくてもよかった。「マジで辛い」の3文字が、俺の「辛くね?」を引き取った。それで十分だった。
授業中、窓の外を見た。いつものように。
校庭で誰かが走ってる。雲が流れる。フェンスの向こうの民家の屋根。
窓の外は、昔から好きだった。誰も俺に何も求めてこない場所。
でも、最近、窓の外を見ながら、教室の中の音が、ちょっと違って聞こえる。
3列前で誰かが「マジで」って笑ってる。後ろの席でヤマモトが「だろ?」って言ってる。サカモトとタケウチが何か小声で話してる。
音だけが聞こえてる。窓の外を見たまま。
でも、その音は、昔より少しだけ、自分に関係がある音に聞こえる。俺の言葉が、何度かあの空気の中に拾われたから。
窓の外を見続ける17歳でいい。明日も明後日もそうだろう。
でも、ときどき、ぽつりと、何かを言える17歳でも、ある。
たこ焼き屋の片付けの一言で、何かが、ちょっと、ずれた。
たぶん、いい方向に。