窓際の沈黙、待ち時間だったかもしれない
——文化祭、カドの七日

※本エッセイはすべて創作です。登場人物・学校・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。

角田 樹(カドタ ミキ)

1年3組。窓際から2番目の席。あんまり喋らない。

文化祭で、たぶん、自分の人生で初めて、誰かに「拾われた」気がする。その記録。

3日前——HRで一回だけ喋った

スローガン会議。タケウチが前で揉めてた。「盛らないスローガンにしたい」って。みんなが反論したり、賛成したり、空気が重くなったり、軽くなったり。

俺は黙ってた。いつもどおり。

でも、議論が同じところを3回くらいぐるぐる回ったとき、しんどくなった。これ以上ぐるぐる回ったら、誰かが心折れる。

たぶんタケウチが折れる。あいつ、汗かいてた。

口が勝手に動いた。「去年のスローガン覚えてる人いる?」

言ったあと、教室がしーんとした。

みんなが俺を見た。一斉に。窓際から2番目の席に、26対の目が向いた。

……これがしんどい。これがいちばんしんどい。

顔が熱くなった。机を見た。続けないと、と思って続けた。「俺も覚えてない。スローガンってそういうもんじゃん。誰も覚えてないけど、決めなきゃいけないやつ」。

言い切ったあと、息ができた。みんなの目が外れた。タケウチが何か言った。議論が動いた。

俺は窓の外を見た。

その夜——明日からどうなる

家に帰って、ベッドで天井を見た。

明日から、みんなが俺に話しかけてくるかもしれない。「カド、どう思う?」って。今日のあれで「実はちゃんと考えてる人」みたいなレッテルが貼られたかもしれない。

違う。俺は何も考えてない。あれは口が勝手に動いただけ。ぐるぐるが止まればよかった。それだけ。

明日、誰かに「カド、また何か言って」って言われたら、何も出てこない気がする。期待されるのは、しんどい。

窓側の席にしてもらってよかった、と思った。窓は、誰も期待してこない。

2日前——誰も来なかった

翌日、誰も俺に話しかけてこなかった。

普通に、いつもどおり。タケウチもサカモトもヤマモトも、それぞれ忙しそうにしてた。スローガンの後始末、出し物の準備、シフト表、いろいろ。

俺は窓際でいつもどおり、いつもの友達と、いつもの会話だけした。

ホッとした。

……ホッとした、と思ったあとに、ちょっとだけ、さみしいような感じが、あった。気がする。

それは認めない。認めない、って決めた。窓の外を見た。

前日——キャベツ

準備の日。たこ焼き屋の仕込み。

俺はキャベツを切る係になった。家でやらされてるから上手い。誰かに言われる前に、自分から「キャベツ切る」って手を挙げた。

窓際の席で挙げた手は、誰の目にも入らなかった。たぶん。だから、もう一回、もうちょっと声を出して言った。「キャベツ、切ります」。

サカモトが「お、ありがとう」って言って、まな板を出してくれた。

包丁。トン、トン、トン。

手が動く。視線は手元に集中していい。誰も俺の顔を見ない。心地いい。

気がついたら、キャベツを2玉、3玉、4玉と切ってた。誰よりも切ってた。

ヤマモトが通りがかって、「お前、キャベツ刻むのうまいな」って言った。

俺は「うん」って言った。

「なんで」って聞かれた。

「家でやらされてるから」って答えた。

それで会話は終わった。3年同じクラスで、たぶん、初めてちゃんと話した。

会話が短いほうが、俺には合っている。

当日——焼かない側

当日、俺は鉄板の前には立たなかった。ヤマモトが立った。

俺は裏方。生地のボウルを混ぜたり、タコを切ったり、皿を補充したり、ソースを足したり。動き続けた。

表に出ない。お客さんに「いらっしゃいませ」を言わない。それでよかった。

入り口の壁に、あのスローガンが貼ってあった。タケウチが言い出して、45分かけて決まったやつ。俺の「去年のスローガン覚えてる人いる?」のあとに、空気が変わって、それでようやく着地したやつ。

当日、俺はそれを横目で見た。読まなかった。読まなくても、知ってる。

知ってるってことは、そこにあった、ってことだ。誰のものでもなく、誰のものでもある。窓際から2番目の席の俺のものでも、ある。

片付け——「中途半端だな」

片付けの時間。たこ焼きは212個売れた。300には届かなかった。

沈黙が流れた。みんな疲れてた。

俺は、その沈黙を埋めようとして、また口が勝手に動いた。「212個って中途半端だな」。

言ったあと、しまった、と思った。2回目はやばい。「カドってこういう人」みたいになる。

でも、ヤマモトが「来年は300いくだろ」って引き取った。

引き取られた、と思った。

俺の言葉が、誰かに引き取られて、別のかたちで生きる。「中途半端だな」が「来年は300いくだろ」になって返ってきた。これは、俺一人で抱えてるよりずっといい状態だ。

みんながちょっと笑った。俺じゃなくて、ヤマモトの返しに、笑った。俺が笑わせたわけじゃないけど、俺がいなかったら、その笑いは生まれなかった。

これが、たぶん、俺の役割なのかもしれない。最初の一言を、軽く投げる係。重く受け止めるのは別の人がやる。

帰り道——拾われたということ

帰り道、自転車を漕ぎながら、考えてた。

俺は今日、2つ言った。「キャベツ切ります」と「212個って中途半端だな」。

「キャベツ切ります」はサカモトが受け取った。「212個って中途半端だな」はヤマモトが受け取った。

受け取られた言葉は、俺の手元から離れて、別の場所で別のかたちになった。

これが、たぶん、「言葉が生きる」ということだ。窓の外で見ている言葉ではなく、誰かの手の中に渡ってからのかたち。

俺の言葉が、誰かに拾われた。それは、窓際から2番目の席の17年で、初めての経験だった。

沈黙していたのは、拒否じゃなかった。
たぶん、待ってた。
誰かに拾ってもらえる場所と、タイミングを。

数日後——「今日のカレー、辛くね」

給食。カレーの日。

俺はとなりの席のヨシダに、ぽつりと言った。「今日のカレー、辛くね?」

ヨシダは「マジで辛い」って返した。

それだけ。それだけの会話。

でも、これは、文化祭前の俺だったら、たぶん言わなかった一言だった。

「今日のカレー、辛くね?」って言って、ヨシダがスルーしたら気まずい。だから言わない、というのが、文化祭前の俺の方針だった。

今日は言ってみた。スルーされてもいいや、と思って。スルーされなかった。「マジで辛い」が返ってきた。

会話は、それで終わった。続きはなかった。続きがなくてもよかった。「マジで辛い」の3文字が、俺の「辛くね?」を引き取った。それで十分だった。

数日後——窓の外

授業中、窓の外を見た。いつものように。

校庭で誰かが走ってる。雲が流れる。フェンスの向こうの民家の屋根。

窓の外は、昔から好きだった。誰も俺に何も求めてこない場所。

でも、最近、窓の外を見ながら、教室の中の音が、ちょっと違って聞こえる。

3列前で誰かが「マジで」って笑ってる。後ろの席でヤマモトが「だろ?」って言ってる。サカモトとタケウチが何か小声で話してる。

音だけが聞こえてる。窓の外を見たまま。

でも、その音は、昔より少しだけ、自分に関係がある音に聞こえる。俺の言葉が、何度かあの空気の中に拾われたから。

窓の外を見続ける17歳でいい。明日も明後日もそうだろう。

でも、ときどき、ぽつりと、何かを言える17歳でも、ある。

沈黙は拒否じゃなくて待ち時間だった。
17年待った。
たこ焼き屋の片付けの一言で、待ち時間は終わった、らしい。

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このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。角田樹は架空の人物です。