カケヒフウタ(51歳・鰹節職人29年)
鰹節というのは、たぶん世界で一番硬い食べ物だ。煮て、燻して、カビをつけて、半年がかりで魚から水を抜いていくと、最後には金槌で叩いても割れないような飴色の塊になる。私はその水を抜く仕事を二十九年やっている。和食の出汁の、魂のような食べ物だと言われることもある。
加工場に入ったのは一九九七年、二十二歳の春だった。最初に持たされたのが生切りの包丁で、カツオを三枚におろし、頭を落とし、血合いを掃除する。脂ののったカツオは身がやわらかく、刃を入れると吸いつくように切れた。一日に何百本もおろしているうちに、手のほうが魚のかたちを覚えていったように思う。
おろした身は煮熟といって、釜で静かに煮る。煮すぎてもいけない、煮足りなくてもいけない。煮上がった身から、毛抜きのような道具で骨を一本ずつ抜いていく。骨抜きは下っ端の仕事で、私は来る日も来る日も骨を抜いていた。指先がふやけて、白くなった。
骨を抜いた身は、焙乾の間に運ばれる。焙乾というのは、薪の煙で燻しながら少しずつ乾かしていく工程だ。薪は樫や楢を使う。煙の香りが、そのまま節の香りになる。だから薪選びは大事なのだと、親方は言っていた。何日も何日も、煙の中で身を乾かし、休ませ、また乾かす。間の壁は煤で真っ黒だった。
そうして荒節ができると、いよいよカビ付けに入る。カビ付け庫という部屋に節を並べ、優良カビを付けて寝かせる。カビが節の中の水分と脂肪をさらに抜き、香りを作っていく。日に乾かしてはカビを付け、また乾かしては付ける。一番カビ、二番カビと回数を重ね、何番まで付けるかで等級が決まる。本枯節と呼ばれるものは、四番カビまで付けたりする。
あの日のことは、よく覚えている気がする。カビ付け庫の戸を開けたら、並んだ節の表面に、青緑のカビが一面に咲いていた。本当に、花が咲いたみたいだった。色が均一で、ムラがなかった。親方が後ろから覗き込んで、うまく咲いたな、と言った。庫の中の温度と湿度を、親方は一日に何度も見て回っていた。
そのとき親方が言ったのだ。カビは敵じゃない。職人だ。うちで一番古い職人だ。機嫌よく働いてもらえ。私は黙って聞いていた。それまで私は、カビというのは生えてしまうもの、放っておくと悪さをするものだと思っていた。それを職人と呼ぶ人がいるのだということが、なんだか新しかったのかもしれない。
仕上がった本枯節を薄く削ると、刃の向こうが透けて見える。飴色の、向こうの光が透けるような薄さだ。それを湯に入れて出汁を取り、味見をさせてもらった。澄んだ、深い香りだった。半年前に血合いを掃除していたカツオが、こんな香りになるのだと、舌の上で確かめたとき、この仕事を続けるのだろうなと思った。
あれから二十九年。私はずっと、カビの機嫌をうかがう観察者をやっている。温度を見て、湿度を見て、咲き方を見て、今日のカビが何を欲しがっているかを考える。カビは敵じゃない、職人だ——あの一言が、私をいまの私にしてくれた。今日もカビ付け庫の戸を開けると、青緑の花が、静かに咲いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。