削りの、薄さ
硬い節を薄片に戻す、削り場のこと

カケヒフウタ(51歳・鰹節職人29年)

鰹節は、世界で一番硬い食べ物だ。半年かけて、煙とカビの力を借りてカツオから水を抜き、金槌でも割れない飴色の塊にする。けれどその硬さは、食べる人のためのものではない。最後に削り場でもう一度、薄片に戻されて、はじめて鰹節は食べ物になる。私が焙乾した節が、そこで削られていく。

削りは、削り機が引く。回る刃に節を当てると、向こう側からひらりと薄片が出てくる。花かつおの薄さは、紙より薄い。刃の出をミクロン単位で調整するのだが、その数字をいくつにするかは、機械では決まらない。同じ設定でも、節の硬さや湿りで削れ方が変わる。最後はやはり、職人が試し削りをして、刃を出したり引っ込めたりして決める。機械の時代になっても、人の手は残るものなのだろう。

削る前に、節を少し蒸すことがある。乾ききった節は硬すぎて、刃を当てても薄片にならず、粉になって崩れてしまう。蒸して、ほんのわずか湿りを戻してやると、刃がすっと通って、長い薄片が引ける。けれど湿らせすぎれば、今度は薄片がよれて、香りも鈍る。蒸し加減は、削り場の者が指でつまんで決める。私の知らない加減が、そこにはある。

削りたての香りは、強い。袋の口から立つそれは、削り場いっぱいに満ちて、一日いると服に染みつくほどだ。けれどその香りは、放っておけば飛ぶ。削ってから袋に詰めるまでの時間との勝負で、削り場の者は手を止めない。香りは、留めておけないものなのだ。

削りには、用途で厚みがある。吸い物にふわりと散らす花かつおは、薄く。煮出してしっかり出汁を取る厚削りは、厚く。糸のように細く引く糸削りもある。だしの用途で、削る厚みは変わる。同じ一本の節が、刃の出ひとつで、別の料理のための別の食べ物になっていく。

削れば、粉が残る。刃に当たって薄片にならなかった端や、削り終わりの細かい欠片だ。昔はもったいないものだったが、いまは粉も商品になる。ふりかけに混ぜ、出汁パックに詰め、ペットフードにも回る。捨てるところは、ほとんどない。節の最後の一粒まで、どこかへ行く。

袋詰めには、窒素を充てる。空気を抜いて窒素に置き換えると、酸化が抑えられて、香りが袋の中に閉じ込められる。削りたての、あの飛んでしまうはずの香りが、封を切るまで眠っている。封を切れば、削り場のあの朝の香りが、台所でもう一度立つ。包装は技術だ。

私は焙乾の間にいる人間だから、削り場には用がない。けれど自分の付けた節が削られる日には、つい削り場を覗きにいく。半年前、私が煙で燻し、カビと寝かせた節が、薄片になって、袋に流れていく。半年の入口にいた私が、半年の出口を見ている。最初と最後を見るのが、職人なのだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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