カケヒフウタ(51歳・鰹節職人29年)
鰹節は、世界で一番硬い食べ物だ。仕上がるまで半年かけて、煙とカビの力を借りてカツオから水を抜く。けれどその半年の入口に、たった一日で終わってしまう仕事がある。生切り、と呼ぶ。届いたばかりのカツオに最初の刃を入れる、朝の仕事だ。
朝、市場からカツオが届く。発泡の箱の蓋を開けると、海の恵みに感謝したくなるような、銀色の背がぎっしり並んでいる。私はまず手に取って、脂を見る。腹を押して、張りを確かめる。脂ののりすぎたカツオは、じつは節に向かない。脂は燻しても乾ききらず、節にすると傷んで戻りが早いからだ。トロのように旨いカツオほど、節屋は喜ばない。良い魚と、節に良い魚は、別なのかもしれない。
見立てが済むと、生切りが始まる。生切りは分業だ。一人が頭を落とし、次の者が三枚におろし、最後の者が節の型に切り分ける。私が入った頃は、頭落としからしか触らせてもらえなかった。一日に数百本。包丁を持つ手はじきにリズムだけになって、頭、頭、頭、と背骨の継ぎ目を探さなくても刃が落ちる場所を覚えていく。流れ作業のなかに、いつしか身を委ねていたのだと思う。
包丁は、魚の脂をすぐ吸う。脂で刃が鈍ると、身が潰れて切り口が荒れる。だから研ぎは欠かせない。私は一日に何度も砥石に向かう。研ぎの周期は脂の量で決まると言ってもいい。脂の多い時季のカツオを切る日は、研ぐ回数も増える。刃と魚は、たぶん、どこかで対話しているのだろう。
切り分けた身は、煮籠に並べて煮熟に送る。並べ方が難しい。重ねれば形が崩れ、隙間が空けば籠が無駄になる。崩れた節は、その後どれだけ丁寧に燻しても、カビをつけても、形は戻らない。ベテランは、籠を見ただけでその日の出来をだいたい当てる。並べ方ひとつに、半年先の姿が宿っているのだ。
骨抜きは、座ってする仕事だ。煮あがった身から、毛抜きで小骨を一本ずつ抜く。長年これをやってきたのは、決まって女性陣のベテランだった。指先が骨の在処を覚えていて、目で探すより先に抜いている。抜き残しが一本でもあると、削ったときに刃が引っかかり、製品の傷になる。彼女たちの指は、私の目より正確だった。
作業場は冷たい。朝はとくに底冷えがする。魚も冷たい。手はかじかんで、午前のうちは感覚が鈍い。それでも切り口を見れば、カツオの良し悪しはわかる。血合いの色が暗いものは鮮度が落ちている。身がだれて締まりのないものは、節にしても痩せる。切った瞬間に、そのカツオの一生が見えるような気がする。冷たい朝に、魚と私だけが向き合っている。
二十九年、生切りの朝を繰り返してきた。煙もカビも、生切りのあとの話だ。あの最初の包丁が、節の全てを決めるのだ。見立てを誤れば、研ぎを怠れば、並べを雑にすれば、半年先の飴色は濁る。朝の冷たさのなかで魚と向き合うこの一瞬に、鰹節という仕事のすべてが詰まっている。だからこそ私は、今日もまた箱の蓋を開け、最初の一本に刃を入れるのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。