核は強い。赤い線で逆算した予定表の上に楽器を並べていく感覚、「いま音が出るか、出ないか」だけで切るトリアージの非情さ、備品チューバの昭和の刻印、前日に「直しきらないことを選ぶ」判断、そして報告に来る生徒への「聞かないけれど、嬉しい」。この骨格は、前作「タンポ」を確かに継いでいる。問題は、書き手がその骨格を信用しきれず、冒頭と末尾で「青春の音色」という安物の額縁をはめ、留保語尾で核をぼかし、最終段で全部を自分で言い直して終わっていることだ。職業エッセイは、職業の手つきが本物なら黙っていても立つ。解説を足した分だけ、手つきが疑わしくなる。
「青春の音色を、私はあと二週間で間に合わせなければならない。」
冒頭の最後にこれを置いた瞬間、エッセイが安くなる。「青春の音色」は、吹奏楽を題材にしたどの文章の頭にも貼れる既製シールで、カケイユズが見ているはずのものではない。この語り手が本当に床のケースのあいだをすり足で歩いているなら、出てくるのは「青春」ではなく、ケースの数と、棚の段数と、すり足という動作のはずだ。生成された“それっぽい締め”の典型で、しかも末尾で「青春という言葉でできているのかもしれない」と再登板させているので、額縁が二重になっている。
「五年でいちばん身についた原則かもしれない。」/「夏の工房は、青春という言葉でできているのかもしれない。」
リペア職人は、漏れているか漏れていないか、間に合うか間に合わないかを断定で切る人物だ。前作で「漏れていれば、漏れている。グレーはない」と書いた語り手が、自分の原則を「かもしれない」で出すのはおかしい。これは怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。「五年でいちばん身についた原則だ」と言い切れないなら、そもそも原則ではない。
「基準は単純だ。いま音が出るか、出ないか。」
基準を宣言したのはよいが、その基準で実際に一台を切って捨てる場面が一つもない。具体的な楽器が予定表の赤い線の右に落ちて、持ち主に「コンクール後で」と告げる——その断りの一場面があって初めて、トリアージは概念から仕事になる。前日の駆け込みの子は描けているのに、肝心の「受けない」と決める瞬間が抽象のまま流れている。いちばん非情な核を、宣言で済ませてしまっている。
「ジョイントの内側に古い刻印があって、昭和の終わりの年号が読めたりする。」「何十人ぶんもの手の跡が層になっている。」
刻印は良い物だが、「年号が読めたりする」の「たり」で観察が一般論に逃げている。実際に覗き込んだ人間なら、読めた年号は一つに決まるはずだ(「平成二年、と読めた」で済む)。「手の跡が層になっている」も概念で、前作の「唾抜きのコルクがいちばん早くだめになる」のような、層を見分ける具体物が一つも出ていない。備品楽器の年季は、抽象語ではなく、どの部品がどう傷んでいるかで書けるはずだ。
「本番前にいじりすぎないこと、いつもの楽器のいちばん良い状態まで戻してやること、それが本番前の調整なのだ。」
これは完全に解説文だ。しかも、第4段ですでに「いつもの楽器の、いちばん良い状態」と書いて、そこで効いている。最終段で同じことを「それが本番前の調整なのだ」と直叙でなぞるたびに、第4段の手応えが目減りする。主題を主題文として書いたら、それはエッセイではなく要約だ。前作の改稿で学んだはずの轍を、また踏んでいる。
「今朝、急にこのキイが下りなくなって、と泣きそうな顔で。」「直しきらないことを選ぶ勇気が、この日には要る。」
前者の「泣きそうな顔」は、部活ものの紋切り型だ。この子が本当に前日に駆け込んだなら、顔より先に、何の楽器の、どのキイが下りないのかが書かれるべきで、感情の記号は要らない。後者の「勇気が要る」は、教師の回想にも医者の回想にもそのまま置ける汎用文。勇気の中身(前日に根本へ手を入れると、明日まったく吹けなくなる危険がある、という具体的なリスク計算)を書かなければ、職業の判断が美談にすり替わる。
「直した者に、結果を聞く権利があるのかと言われれば、たぶん、ない。だから私からは聞かない。聞かないけれど、向こうから報告に来てくれると、やっぱり、嬉しい。」
ここはこのエッセイで最も良い。前作の「傷をつけたのは、いつもその人の手だ」に並ぶ核がある。ただ「たぶん」「やっぱり」の二語が惜しい。職人がここで言葉を濁すのは、留保ではなく謙遜の演技に見える。「権利はない。だから聞かない。聞かないが、来てくれると嬉しい」と、句点で切って言い切ったほうが、嬉しさの不意打ちが効く。核は強いのだから、装飾を剥がすだけでよい。
残すべきは五つ。赤い線で逆算した予定表、「いま音が出るか、出ないか」のトリアージ、備品チューバの刻印、前日に直しきらないと決める判断、そして「結果を聞く権利はない、だが来てくれると嬉しい」。削るべきは、冒頭と末尾の「青春の音色/青春という言葉」の二重の額縁、「かもしれない」の留保語尾、最終段の主題解説。改稿では、トリアージを宣言で済ませず、一台を実際に「本番後で」と断る場面を入れること。刻印の年号は一つに決めること。そして末尾は、調整の定義を言い直さず、報告に来た生徒で閉じること。意味は場面が運ぶ。定義が運ぶのではない。