核は強い。同じ笛でも吹き手で別の音になること(古老は息を奥へ送り、若い衆は口元で鳴らす)、子ども囃子用の笛を本番用と作り分けること、雑踏のなかで自分の笛の音だけを耳が拾ってしまうこと、よく吹かれた笛は鳴りが育って戻ってくること。この四点は、この職人にしか書けない。問題は、書き手がそれを信用せず、祭りの夜の郷愁で前後をくるみ、留保語尾で逃げ、最終段で「笛は吹かれて完成する」と主題を自分で言ってしまっていることだ。耳で音を拾う職人を語り手にしながら、肝心の音の描写を匂いと提灯にすり替えている箇所がある。職業エッセイは、職業の感覚で嘘をつくと全部が嘘に見える。
「夏の祭りの夜は、どこか懐かしい匂いがする。焼きとうもろこしの煙と、夕立のあとの土の匂いが入りまじって、子どものころに戻ったような気持ちにさせる。」
これは祭りを書くとき誰でも最初に手が伸びる既製の叙情装置です。焼きとうもろこし、夕立のあとの土、子どものころ。三点セットで「ノスタルジックな夏祭り」を安く調達している。だがこの語り手は、屋台の匂いではなく音を聴きに来た人間のはずです。二十四年笛を作ってきた耳なら、出てくるのは懐かしい匂いではなく、太鼓の革の張り具合か、まだ音合わせの済んでいない笛の上ずりか、桟敷の板のきしみのはずだ。雰囲気が人物より先に立っている。
「やぐらに提灯が連なり、太鼓がひとつ鳴ると、夜がふいに濃くなる。そういう夜に、私の笛は鳴る。」
「夜がふいに濃くなる」は、生成された“それっぽさ”の典型で、観察ではなく演出です。誰の祭りでもない、どこの祭りでもない、絵に描いた祭りの夜が立ち上がってしまう。この人物の本領は、第3カードの「低い音がよく響いた」のような音の聴き分けにある。提灯の点描に行を割くより、最初の一音が聞こえた瞬間に何を聴き取ったかを書くべきです。
「笛は吹き手を選ぶのかもしれない、とそのとき思った。」/「これはもう職業病で」
同じ笛が吹き手で別の音になることを、この語り手は桟敷の隅で聴き分けている。それを「選ぶのかもしれない」と詩的に薄める必要はない。半ミリの穴で音程を決めてきた人間が、肝心のところで「かもしれない」と逃げると、断言を避ける作者の保険に見える。デビュー作で確立した、半音の何分の一かを断定する声と矛盾します。違いを聴いたなら、何がどう違ったかを断定で書く。
「今年その笛を継いだ若い衆は、まだ口元で鳴らしている。同じ笛なのに、まるで違う。」
「まるで違う」は概念であって観察ではない。本当に隅で聴き分けた職人なら、どの音がどう違ったかが一つ出るはずです。古老のときは低音(呂)が太かったのが、若い衆では高音(甲)に裏返る、出だしの一節が走る、息継ぎで音が切れる――どれか一つでいい。「まるで違う」で済ませると、聴き分けた事実そのものが嘘に見える。職業の核を、概念語で握りつぶしている。
「笛は、作っただけでは完成しない。誰かに吹かれ、祭りの夜に鳴って、はじめて完成するのだ。私は作る人であり、そして、聴きに来る人でもある。」
エッセイの主題を主題文として書いてしまっている。これはもうエッセイではなく要約です。「吹かれて完成する」は、第6カードの育った笛が戻ってくる場面がすでに全部言っている。鳴りが太くなって持ち込まれた笛を手にした瞬間に、読者はそれを悟る。同じことを抽象語で言い直すたびに、あの修理の場面の値打ちが下がっていく。意味は、戻ってきた笛が運ぶべきで、作者が運ぶのではない。
「私はこの仕事をしていてよかったと、しみじみ思うのだった。」/「今年もまた、いい夜だった。」
どちらも、どの職人エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、カミシロイブキである必然がない。「しみじみ思う」「いい夜だった」は、読者に渡すべき余白を作者が先に埋めてしまう自己赦しです。デビュー作の結びは「祭囃子の笛の注文が多い」という現在の手の動きで終わっていて、感想を述べなかった。そこにこそ品があった。ここでも、感想ではなく次の一手(次の笛にどう反映するか)で閉じるべきです。
「それを確かめずにいられないのは、たぶん職人の性なのだろう。」
「職人の性」は、陶工にも刀鍛冶にも宮大工にも、そのまま置ける汎用句です。なぜ確かめずにいられないのか――納めた笛の四つ目の音が祭りの囃子のなかで浮かないか不安だから、とか、吹き手が変わったと噂に聞いたから、とか、この人物固有の動機を書かなければ、語り手の内側は存在しないのと同じになる。「性なのだろう」で片づけた瞬間、観察者であるはずの語り手が一般論の人になる。
残すべきは四つ。吹き手で別の音になる笛(呂と甲の聴き分けで具体に)、本番用と作り分ける子ども囃子の笛、雑踏のなかで一本の音だけを拾う耳、そして鳴りが育って戻ってくる修理の笛。削るべきは、焼きとうもろこしと夕立の郷愁、提灯と太鼓の書き割り、留保語尾、最終段の主題解説、「しみじみ」「いい夜だった」の自己赦し。改稿では、「まるで違う」を一つの具体音に置き換え、結びは感想ではなく「次の笛の四つ目の指孔を、ほんの少し」という手の動作で閉じてください。意味は動作と音が運ぶ。説明が運ぶのではない。