核は強い。患者に言う前に近隣へ在庫を聞く電話を数件かけるという「順番」、薬局同士の融通という慣習、「納期未定」の薬に入荷日を約束できないという言い方の難しさ。この三点だけで一本立つ。問題は、この書き手が前二作で築いた美点——「紙だけを見る」「見たことだけを言う」「数字には嘘をつかない」という事務の手つき——を、今作では自分で裏切っていることだ。雨と匂いの書き割りを借り、留保語尾でほやかし、最終段で主題を直叙して回収してしまっている。点数の人が、点数の人らしくない。
「考えてみれば、この受話器の数珠つなぎこそが、いまの町の薬棚を、ぎりぎりのところで支えているのだ。」
核を、作者が自分の口で要約してしまっています。「町の薬棚を支えている」は、この第一稿が見せた電話の場面が読者にすでに分からせていることで、それを抽象語で言い直した瞬間に、せっかくの場面が「主題の挿絵」に格下げされる。前作「月曜の、束」の批評でも同じ轍が指摘されたはずです。支えているかどうかは読者が決める。書き手は電話をかけ続ければよい。
「窓の外には冷たい雨が降っていて、薬局のなかには消毒のにおいが静かに満ちていた。」
雨、におい、静けさ。三点セットで「それっぽい職場」を安く調達しています。この一文は前ペルソナ「コウノアサコ」評で槍玉に挙がった「窓の外には冷たい雨が降っていて……」とほぼ同型で、生成文の手癖がそのまま再発している。カミヤリツコが本当に見ているのは雨ではなく、卸の発注画面に並ぶ「限定出荷」の記号のはずで、現にその直後に書けている。なら雨は要らない。
「受話器を取る回数が、目に見えて増えた気がする。」/「同じため息を、私たちはお互いに聞いている気がした。」/「世の中の薬不足の厚みなのかもしれない、とぼんやり思うことがある。」
「数字には嘘をつかない訓練を受けている」と自分で書く人物の語りが、「気がする」「かもしれない」「ぼんやり思う」で薄まっている。受話器を取る回数なら、この人は数えられるはずです(前作で束を「実数」で語った人だ)。回数が増えたのは「気がする」のではなく、増えた。電話を一日に何件かけたか、を出せる語り手なのに、情緒の側へ逃げている。これは怯えではなく、断定を避ける作者の保険です。
「いくつもの薬の名前の横に、見慣れない記号がついている。「限定出荷」「出荷調整中」「納期未定」。」
惜しい。記号の語は拾えているのに、「いくつもの薬の名前」が概念のままです。実際に発注画面を毎朝見ている人なら、欠品の常連の薬名が一つ二つ口をついて出るはず(前作ではタミフルと固有名を出せていた)。同じく近隣への口上「△△錠、いま在庫ございますか」の△△も伏せられたまま。固有名を一つ置くだけで、画面も電話も実在し始めます。名前を読める、というこの人の数少ない特権を使っていない。
「欠品の知らせを患者さんに伝える前に、することがある。近くの薬局へ電話をかけるのだ。」
このエッセイの心臓は「患者に言う前に、まず数件かける」という順番の逆転です。それを「することがある」「かけるのだ」と要約で前置きしてしまっている。本当に効くのは、カウンターで待つ人の顔が見えている状態で、その人に背を向けて受話器を取る一拍のはずです。第4段に「驚いている顔の前で、私はもう次の電話の番号を押している」という良い動作があるのに、それを結論側に置かず、順番の核として前に立てていない。説明が動作を食っています。
「疑義照会は薬剤師の仕事で、私はその段取りだけを担う。病院に電話をつなぎ、薬剤師に受話器を渡し、返事をまた紙に書き留める。」
役割分担の宣言は正しいのに、「段取り」の中身が薄い。事務が本当にやるのは、医師がつかまる時間帯を見計らう、受付の誰それに取り次いでもらう、待たされる間に他の処方を捌く、戻ってきた回答を「変更後の薬名・規格・日数」として疑義照会の記録欄に転記する——その紙の手つきです。「返事を紙に書き留める」では、前二作で見せた紙への偏執が消えている。この人の値打ちは、電話そのものより、電話のあとに残る紙のほうにある。
「その日、私の机の電話は、何度鳴っただろう。何度、私から鳴らしただろう。」
余韻のように置かれていますが、これは料理人の回想にも教師の回想にも貼れる汎用の詠嘆です。しかも「数字に嘘をつかない」人物がここで回数を「何度だろう」とぼかすのは、設定との二重の裏切り。鳴った回数を出せないなら問いかけにしない、出せるなら数字を書く。どちらかです。
残すべきは三つ。患者に言う前にまず数件かけるという「順番」、その電話を待つ人の顔の前で背を向けて押す一拍、そして「納期未定」に入荷日を約束できない言い方の難しさ。削るべきは、雨とにおいの書き割り、「気がする/かもしれない」の留保語尾、最終段の「支えているのだ」という主題直叙、そして「何度鳴っただろう」の汎用詠嘆。改稿では、欠品の薬名と近隣への口上に固有名を一つずつ入れて画面と電話を実在させ、順番の逆転を冒頭近くの動作として立て、疑義照会は「回答を記録欄に転記する紙の手つき」で締めること。意味は動作と数字が運ぶ。詠嘆が運ぶのではない。