欠品の、電話
薬が足りない時代、事務の受話器が増えた

カミヤリツコ(46歳・調剤薬局事務22年)

このごろ、私の机の上で受話器を取る回数が、目に見えて増えた気がする。私の仕事は処方箋を受け取り、保険を確かめ、点数を計算し、控えを綴じることだ。薬を調えるのは薬剤師、私は紙だけを見る。けれど薬そのものが世の中から足りなくなってくると、紙だけを見ているはずの私の手も、いつのまにか電話のほうへ伸びていくのだった。

窓の外には冷たい雨が降っていて、薬局のなかには消毒のにおいが静かに満ちていた。卸への発注画面を開くと、いくつもの薬の名前の横に、見慣れない記号がついている。「限定出荷」「出荷調整中」「納期未定」。数年前にはほとんど見なかった文字が、いまは画面の半分を埋めている。私は数字に対しては嘘をつかない訓練を受けているから、足りない、という事実だけはまっすぐ受け取る。

欠品の知らせを患者さんに伝える前に、することがある。近くの薬局へ電話をかけるのだ。「いつもお世話になっております、◯◯薬局です。△△錠、いま在庫ございますか」。薬局同士には、薬を融通し合う昔ながらの慣習がある。一箱を分けてもらい、こちらに余りがあるときは分けて返す。受話器の向こうも、たぶん同じ画面を見ている。同じため息を、私たちはお互いに聞いている気がした。

三、四軒かけて、どこにもないこともある。そういうとき、私はようやくカウンターに戻って、待っている人に言う。「申し訳ありません、このお薬、いま品薄でして」。患者さんは、たいてい「えっ」と言う。薬がない、という事態が、すぐには体に入ってこない顔だ。薬は出るものだ、と長く信じてきた人ほど、その「えっ」は深い。けれど私の側はといえば、内心、またか、と思っている。驚いている顔の前で、私はもう次の電話の番号を押している。

壁には、欠品リストの紙が貼ってある。毎週月曜に新しい一枚へ貼り替える。先週まであった薬の名前が今週も残っていたり、戻ったと思った名前がまた増えていたり。蛍光ペンで消した線の上に、また別の線が引かれる。その紙の厚みが、そのまま世の中の薬不足の厚みなのかもしれない、とぼんやり思うことがある。

足りないなりに、できることはある。分割調剤——ひと月分は出せなくても、あるだけを先に渡して、残りは入荷してから取りに来てもらう。私はその手続きの紙を作り、入荷したら連絡するための電話番号を控える。「お薬、入りましたらお電話します」。けれど、いつ入るかは分からない。「納期未定」の薬に、私は入荷の日を約束できない。約束できないことを、できるだけ約束のように聞こえないよう、それでいて見放したようにも聞こえないよう、言葉を選ぶ。事務の二十二年で、いちばん難しいのはこの言い方かもしれない。

同じ成分の別の銘柄なら在庫がある、ということもある。ジェネリックの銘柄を変える同意を、患者さんから取る。「中身は同じお薬で、作っているメーカーが違うだけなんです」。たいていの人はうなずく。けれど、どうしてもこの白い錠剤でないと不安だ、という人もいる。薬が効くかどうかは私は言わない、薬剤師の領分だから。私が触れるのは、銘柄という名前の、紙の上の差だけだ。それでも名前が変わることを不安がる気持ちは、カウンター越しに伝わってくる。

その薬がどうしても手に入らないとき、代わりの薬に変えてもらえないか、医師に問い合わせることになる。疑義照会は薬剤師の仕事で、私はその段取りだけを担う。病院に電話をつなぎ、薬剤師に受話器を渡し、返事をまた紙に書き留める。受話器が、人から人へ手渡されていく。その日、私の机の電話は、何度鳴っただろう。何度、私から鳴らしただろう。

薬が足りない、という時代を、私は紙と電話で受け止めている。卸の画面の記号、近隣への口上、壁の貼り紙、入荷を待つ番号の列。患者さんの「えっ」と、私の「またか」。考えてみれば、この受話器の数珠つなぎこそが、いまの町の薬棚を、ぎりぎりのところで支えているのだ。薬の効能は語れなくても、足りない薬をめぐって町じゅうの薬局がかけ合う電話の音なら、私はいちばん近くで聞いている。それが、紙だけを見てきたはずの私の、すこし変わってしまった二十二年目の景色なのかもしれない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。