カミヤリツコ(46歳・調剤薬局事務22年)
調剤薬局の事務を二十二年。私の仕事は処方箋を受け取り、保険を確かめ、点数を計算し、控えを綴じることだ。薬を調えるのは薬剤師、私は紙だけを見る。一点は十円。一円ずれれば月末のレセプトが返ってくる。私は数字に対しては、嘘をつかない訓練を受けている。その訓練をどこで受けたかを、これまで書かなかった。
二〇〇二年の四月から二年、私は坂の上の大学の事務にいた。研究費の立替えを精算する係で、小口現金の手提げ金庫の鍵を一本、預かっていた。鍵は二本で一組。もう一本は係長が持っていた。夕方に現金を数え、出納帳に一行書く。合っていれば、係長が確認の欄に判を押す。毎日、合っていた。
二〇〇三年度の終わり、三月の締めの日に、一万円足りなかった。私は三回数えた。三回とも、一万円足りなかった。出納帳に「不足 一〇、〇〇〇円 原因不明」と書いたのは私だ。確認の欄に判を押したのは、係長だった。
誰も、私だとは言わなかった。私ではない、とも、誰も言わなかった。課長は私に、何度か同じことを聞いた。鍵は二本あった。聞かれたのは、一本目だけだった。
三月の終わりに、私は辞めた。最後の日、鍵を係長に返した。係長は受領の紙に判を押した。文房具店の回転棚で買える種類の、三文判だった。押す前に、左下に体重をかけた。私の知っている係長の押し方ではなかった。
四月から、坂の下のこの薬局に来た。初めてレセプトが返ってきた日、私は少し、ほっとした。どこで一円ずれたかを、返ってきた紙が教えてくれる。前の職場の一万円は、どこにも返ってこなかった。
大学の人は、坂を下りてここへ来る。一万円を超える買い物をすると、領収書をください、と言う。その決まりは二〇〇四年の四月からだと、客の一人が教えてくれた。私が辞めた次の日からだ。一万円という額を、私は知っている。
月に一度、血圧の処方箋を出す人がいる。二十八日分。保険証の名前を確かめるのが、私の仕事だ。確かめて、名前を呼ぶ。「杉浦さん」。二十二年、毎月そう呼んで、薬を渡した。それ以外は、言わなかった。向こうも、言わなかった。領収書は、いつも持って帰った。
去年の十月、首から職員証を下げた若い人が、頭痛薬を一箱買いに来た。研究支援課、四月から、と言った。私のいた係の、今の名前だ。私は聞いた。まだ一万円からは紙ですか。判子は、まだ押していますか。「押してます。左下から」と、その人は言った。領収書はいらないと言われたが、私は一枚重ねた。職員証の名字は、波多野だった。
二月の土曜、開局の前に、シャッターを膝の高さまで上げて外を見た。革靴が一足、立っていた。九時になる少し前に、もう一足が坂の上から来た。二足は並んで、少しして、上っていった。誰の靴かは分からない。分からないことは、書かない。
三月三十一日、午後六時すぎ。二十八日分。名前を呼んだ。領収書を渡すと、その人はクリアファイルを一つ、カウンターに置いた。「合っていました」。それだけ言った。
中の紙を、私は一枚ずつ見た。二〇〇三年度三月の、立替金の精算書。表に「返金 一万円」と書かれた封筒。書いたのは、当時の助手の先生だった。出納帳の、私の字の「原因不明」。会計課の受領。それから、一行だけの記録。「二〇二七年二月九日 午後七時十二分 発見 波多野・梶田」。
仮払い一万円、使用額ゼロ、返金一万円。年度末の不足、一万円。私は指サックをした指で、一つずつ追った。合っていた。二十三年前の三月の締めの日、一万円は、金庫ではなく、綴りの中にあった。
精算書の受付の欄は、空いていた。あのころ、その欄に判を押すのは私の仕事だった。私は、その封筒を見ていない。見ていないことが、空いた欄で分かる。
私はカウンターの日付印を取り、今日の日付を確かめて、空いた欄に押した。薬局の日付印だから、何の証明にもならない。それでも、空いた受付の欄を埋めるのは、受付の仕事だ。写しは、処方箋の控えと一緒に綴じた。月末のレセプトには関係のない紙が、一枚。
その人は頭を下げて、もう一人と坂を上っていった。来月も、二十八日分が来るだろう。私はまた、名前を呼ぶ。たぶん、それ以外のことも、少し言う。指サックをはめ直して、次の一枚を取る。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。