カナモリシュン(48歳・養蜂家26年)
九月、その朝に持ち上げた巣箱が、八月の終わりより腕に来なくなる。栗が終わり、蕎麦の花が薄くなる。重さが減りはじめると、私は毎朝、巣門の前に立つようになる。夏のあいだは三日に一度でよかった。秋は、来てはいけないものが来る。
最初は一匹だ。オオスズメバチの偵察。蜜蜂は花から花へ忙しなく動くが、こいつは巣門の前を、低く、ゆっくり、何度も往復する。羽音が低い。近づくと、巣門の蜜蜂のほうが先にざわつき、私に教える。この一匹を放つと、二日のうちに数十匹が来る。在りかを仲間に伝えるからだ。だから、最初の一匹を見たその日に、手を打つ。
手は三つ。捕獲器を巣門の前につける。巣門を金具で狭める。巣箱にネットを張る。ネットは、目の細かいものを、たるませて張る。これを覚えたのは失敗からだ。継いで三年目、ぴんと張ったネットの上でスズメバチが羽ばたいて穴を探し、隅を破って入った。たるませると足が絡む。張りつめたものより、たるんだもののほうが、絡め取る。
巣門を狭める金具は、夏は外している。蜜蜂の出入りが渋滞するからだ。秋にこれをはめると、巣門は蜜蜂一、二匹がやっと通れる幅になる。蜜蜂には窮屈だ。だが狭い門は、蜜蜂自身が守りやすい。何十匹が体を張って塞げる幅まで、私が金具で詰めてやる。守る側と私の手が、ここで一度だけ噛み合う。
仕掛けで防ぎきれない数が来たとき、蜜蜂のほうにも手がある。蜂球だ。侵入したスズメバチを数百匹で取り囲み、球になって、全身の筋肉を震わせて熱を出す。球の中心は四十五度を超える。蜜蜂は耐え、スズメバチは耐えられず、蒸し殺される。私はネットの外から、球がじわじわ縮むのを見ているだけだ。十分か、二十分か。ここから先、私の手は届かない。
球がほどけると、真ん中に、動かなくなったスズメバチが一匹残る。そのまわりに、巻き添えで死んだ蜜蜂が、五匹、六匹。私はそれを数える。八年前のことを思い出すからだ。九月の偵察を二日見逃した年、出張から戻ると、巣門の前に蜜蜂の頭と羽が散らばっていた。スズメバチは胴だけ持ち去り、頭を捨てる。その巣箱は中まで入られて、全滅していた。私の防備が、一日、遅れた。
スズメバチも、自分の幼虫に肉を運ぶために狩っている。山のスズメバチの巣の駆除を頼まれて引き受ける養蜂家もいる。私は、自分の巣箱を守る捕獲はするが、頼まれて巣を獲りに行くことは、しない。憎んではいる。八年前の軽い巣箱を、いまも持ち上げるたびに思い出すほどには。それでも、行かない。理由はうまく言えない。ただ、自分の門の前までだ、と決めている。
十月の終わり、最初の霜が降りた朝。巣門の前に立つと、スズメバチが一匹もいない。前日まであれほど往復していた偵察が、消えている。霜が、女王以外を終わらせた。長い攻防が、戦いとも呼べない静けさで終わる。私は捕獲器を外し、金具を緩める。来年の九月まで、この門に手をかけることはない。今朝も私は、軽くなった巣箱を持ち上げる。冬まで、あと何回。