カナスギレオ(38歳・自動車解体業16年)
冬になると、ヤードに入ってくる車が増える。十六年やってきて、毎年そうだ。年が明けるまでの、あの冷え込みはじめる時期から、引き取りの電話が立て込んでくる。冷たい朝の光が構内の鉄に当たって、白い息を吐きながら、僕は今日も一台、車を迎えにいく。役目を終えた車が、最後にこの季節を選んでやってくるのには、たぶん理由がある。
古い車の最後のひと押しは、たいてい冬の朝に来る。バッテリーが上がるのだ。寒さで弱った鉛のバッテリーは、夏なら持ちこたえた一回のセルが、氷点下では回りきらない。キュル、キュル、と弱って、そのまま黙る。それまで「まだ乗れる」と思っていた人が、その朝に「もう買い替えよう」と決める。引き取りに行って事情を訊くと、半分はこれだ。バッテリーひとつが、一台の寿命を決める引き金になる。
動かない車を積載車に載せるのが、冬のいちばんの仕事になる。エンジンがかからないから、自走では上がってこない。だからウインチを使う。フックを車の牽引ポイントに掛けて、ワイヤーを巻く。荷台の角度、ワイヤーの取り回し、輪止めのタイミング——ここを間違えると車が横を向く。冷えた手でフックを掛けるとき、金具が指に貼りつくほど冷たい。ウインチがウーンと唸って、動かない一台が、ゆっくりと斜めの荷台を這い上がってくる。
外したバッテリーは、構内の一角に積んでいく。黒い箱が、冬のあいだに山になる。これは鉛だから、専門の業者が買い取っていく。相場は鉛の地金の値で動いて、キロいくらで決まる。重いものほど金になるのが、この仕事の常だ。ずらりと積まれたバッテリーの山を見ていると、この冬、何台ぶんの朝がここで終わったのかが、なんとなくわかる。
冬らしい皮肉もある。スタッドレスタイヤを履いたまま入ってくる廃車だ。タイヤは新品同然で、溝もまだ深い。雪に備えて、つい先月履き替えたばかり、という車もある。タイヤは新しいのに、車のほうが先に終わる。外したスタッドレスは、山と溝を見て仕分ける。使えるものは中古タイヤとして棚に回し、減ったものはゴムとして処分する。新しいタイヤだけが、車より長く生き延びていく。
雪国から流れてくる車は、下回りを見ればすぐわかる。融雪剤の塩でやられて、フレームもマフラーも錆で膨らんでいる。同じ年式、同じ型でも、雪のない土地で走った車とは寿命がまるで違う。上はきれいなのに、下から先に終わっている。リフトで上げて下回りを覗くたび、車の一生は走った場所で決まるのだなと、しみじみ思わされる。
年末が近づくと、依頼の質も変わる。「大掃除のついでに、庭の車も片付けたい」。動かなくなって何年も置きっぱなしだった車の整理が、この時期にまとめて出る。一年の終わりに、身のまわりを整える。その整えるもののなかに、車が入っている。家の片隅で雪をかぶっていた一台が、暮れの押し詰まった日に、ようやく僕のところへ来る。
そして正月が明けると、構内は急に静かになる。年末まであれほど鳴っていた引き取りの電話が、ぴたりとやむ。積み上がったバッテリーの山と、仕分け途中のスタッドレスだけが、冷えた構内に残っている。白い息を吐いて、僕はその山の前に立つ。冬という季節が、毎年、車の寿命を決めているのだ。バッテリーの一回の沈黙が、一台の最後を呼ぶ。動かなくなった車を見送るたびに、僕は少しだけ、自分の仕事を許せる気がする。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。