カンザキシュウ(52歳・天ぷら職人30年)
冬の柱を牡蠣にすると決めたのに、店に届くむき身は水を吸っていた。市場を経由する間に身が水を含み、衣が乗らない。乗らない衣は油の中で重くなる。それで、剥いたその日のうちに送ってもらえないかと、産地の港まで出かけた。
剥き場は長い台のある小屋だった。打ち子が一列、手元だけを見て並んでいる。殻を割る音が、列の右から左へ、わずかにずれて聞こえる。台の足元には殻のバケツがあって、割られた殻がそこへ次々に落ちていく。一人が割り、外し、捨て、また取る。その一巡が、列のあちこちで少しずつ違う速さで回っていた。
列の真ん中に、イマイズミナギさんがいた。牡蠣の打ち子を十三年。殻を手に取ると、専用の小刀の先を、殻の合わせ目から一度だけ差し込む。手首をひねる。貝柱が切れて、身がすっと離れ、殻はもう足元へ落ちている。差し込んでひねって落とすまで、よけいな動きが一つもない。
揚げる側の注文を伝えた。大きさを揃えてほしい。水切りをきつくしてほしい。水が切れていれば衣は薄く決まり、ひと口で殻の記憶が立つ。水を含んでいれば衣が乗らず、油の中で重くなる。衣が決まるかどうかは、むき身が乾いているかどうかでほとんど決まる、と話した。イマイズミさんは台のざるを傾けて、こう切ればここまで水が抜ける、と見せた。
刃の置き場所のことを訊いた。貝柱の位置を覚えていて、そこへ刃先を入れる。位置がずれれば身が崩れ、水が出る。「速さって、迷わないことなんですよ」と彼女は言った。差し込む前に刃を置く場所が決まっているから、ひねる手が止まらない。私が海老の尾の水を包丁の先でしごくとき、しごく一点は考えなくても手が知っている。あれと同じだった。
立ち話になった。一日に何百個の殻を割る、と彼女は言う。私は一晩で何百本の種を揚げる。数を数えるでもなく、互いにそう言った。海老の尾の水をしごく私の手と、貝柱を探す彼女の手は、同じ反復の先にある。朝に剥いた便をその日のうちに送る、と約束した。市場を一つ抜けば、むき身の水が変わる。海から油までの時間を短くする、それだけの段取りだ。
店に戻って、届いた牡蠣を揚げた。牡蠣は、海老や鱚より水を抱えている。最初の一粒は、音が細かくなるのが思ったより遅かった。ぼこ、ぼこ、が長く続く。早く上げたい手を抑えて、ぴちぴちに変わるのを待った。箸がふっと軽くなったのは、いつもより一拍あとだった。二粒目から、その一拍を勘定に入れて落とした。
揚がった一粒を口に入れる。衣が薄く割れて、中の身がまだ汁を持っている。台のざるを傾けた手と、殻の合わせ目に刃を差し込む手首が、その汁のうしろにあった。明日の朝も、あの列のどこかで、彼女は同じ一巡を回している。私はその時刻に合わせて、油を温めておく。