冬の、種場
牡蠣の産地を訪ね、剥き場の手を見た冬の旅

カンザキシュウ(52歳・天ぷら職人30年)

冬の献立の柱を、牡蠣にしようと思っていた。海の恵みをそのまま客に渡すのが職人の役目だと、長く信じてきた。ただ、市場を経由して店に届く頃には、むき身は一度水を吸い、衣がうまく決まらないことがある。それで、種を産地から直接仕入れられないかと思い立ち、冬の海辺へ出かけることにした。

朝の早い便で港へ着いた。浜は風が強く、潮の匂いが満ちていた。剥き場は大きな小屋で、長い台の前に打ち子が一列に並んでいる。みな手元だけを見て、殻を割り、身を外し、また次の殻を取る。その流れには、迷いというものがなかったように思う。

列の真ん中あたりに、イマイズミナギさんがいた。牡蠣の打ち子を十三年やっているという。手の速さがほかと違った。殻を手に取ってから身が外れるまで、目で追えないほどだった。私は揚げ場で三十年、種が揚がる頃合いを音と箸の軽さで決めてきたが、その私の目でも、彼女の手は追いきれなかった。

揚げる側からの注文を、私は伝えた。大きさが揃っていてほしいこと。それから、水切りをしっかりしてほしいこと。むき身が水を含んでいると、衣が乗らず、油の中で重くなる。逆に水が切れていれば、衣は薄く決まり、ひと口で殻の記憶が立つ。衣が決まるかどうかは、むき身の状態でほとんど決まってしまうのだ。

イマイズミさんは、刃の入れ方を見せてくれた。貝柱の位置を覚えていて、そこへ刃先を入れる。貝柱を切れば、身は殻からすっと離れる。位置がずれれば身が崩れ、水も出る。「速さって、迷わないことなんですよ」と彼女は言った。あの目で追えない速さの正体は、力ではなく、刃を置く場所への確信なのだと思った。

立ち話になった。彼女は一日に何百個の殻を割るという。私は一晩で何百本の種を揚げる。互いに、数をこなす仕事だ。反復が、手に精度を作る。同じ動作を繰り返すうちに、迷いが削れていく。それだけの話を、淡々とした口調で交わした。海老の尾の水をしごく私の手と、貝柱を探す彼女の手は、たぶん同じ場所から来ている。

直送の約束をした。朝に剥いた便を、その日のうちに送ってもらう。海から油までの時間を、できるだけ短く設計する。市場を一つ抜くだけで、むき身の水は変わるはずだった。段取りを決めて、私は港を後にした。風はまだ強かったように思う。

店に戻って、届いた牡蠣を揚げた。水の切れたむき身に薄く衣を引き、油に落とす。ぼこ、ぼこ、という音がやがて細かくなる。箸が軽くなったところで上げた。ひと口で、浜の風と、あの剥き場の列が立ち上がってきた。これは、顔の見える種なのだ。市場の暗がりを通らず、打ち子の手から私の油へ、まっすぐ来た一粒なのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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