原皮の、山(第二稿)
材料の源流に同行した、数日の記録

カラスマジン(50歳・檜皮葺き職人28年)

私は屋根に皮を重ねる職人で、皮を剥ぐ人間ではない。皮は原皮師という別の職人が山から剥いでくる。二十八年、私は剥がれてきた皮しか知らなかった。この秋、原皮師の利夫さんについて山に入った。屋根の上の一枚が、どこから来ているのかを、初めて源流で見た。

利夫さんはヘラ一本で木に登る。ヘラは長さ三十センチほどの竹の箆で、先を斜めに削ってある。命綱はあるが、足場は組まない。檜の幹に体を預け、足の裏で皮を押さえ、ヘラの先を皮と幹のあいだに差し込んで、こじ起こす。縁が起きたら手を差し込み、体重を後ろへ預けて一息に剥ぐ。皮は幹に沿って一枚の帯になって剥がれ、めりっと低い音がした。木の表面が、上から下へ一枚ずつ脱げていった。

剥いだあとの木は死なない。表面の皮だけを剥ぎ、内側の生きた層は残す。木は生きたまま、また皮を育てる。十年待てば、利夫さんは同じ木にもう一度登る。「孫の代に剥がせる木を残す」と彼は言った。剥ぐことと育てること——彼の手のことを、私はそれ以上言葉にできない。

登る前、利夫さんは幹をひと撫でして、剥ぐか剥がぬかを決めていた。日当たりのよい斜面でゆっくり太った木は、皮が厚くて粘る。込み合った暗い場所で痩せた木は、皮が薄くて、剥ぐ途中で割れる。彼は痩せた一本に手を当て、「これはまだだ」とだけ言って、登らずに通り過ぎた。屋根の素直さは、整形の前に、ここで半分決まっていた。

その山まで、車で一時間半かかった。檜皮葺きに使える太さの檜は、植えてから何十年もかかる。戦後に植えた山が伐られ、後を植え継がない場所が増えた。「近い山は、もう剥ぐ木がない」と利夫さんは言った。文化財の屋根を支えている山が、毎年すこしずつ遠くなっていく。それを彼は、地図のことのように淡々と話した。

前の現場で、軒先の皮を継いだ場所だけ、何十枚と重ねたとき線がわずかにうねった。だから私は山で注文を出した。「軒には継ぎの少ない長物が要る。それと、節の少ないのを。節で皮が裂ける」。利夫さんはうなずいて、谷沿いの、節のないまっすぐな一本を見上げた。屋根で困ったことが、そのまま山の木の選び方に返っていった。皮を受け取るだけだった私と、皮を起こすだけだった彼が、その日は何度か、こんなふうに言葉を交わした。

剥いだ皮は束ねて運び出す。一抱えの束は二十キロほどで、濡れた砂袋を背負ったように重い。背負って斜面を下りると、膝が笑った。束はすぐには使わない。風の通る小屋で寝かせ、ゆっくり乾かしてから工房へ送る。山で起こされた皮は、束のまま、長い旅の始めにいる。

工房に戻って、私はいつものように皮を膝に当て、竹の包丁で厚みを削いだ。手の中の一枚が、急に遠くから来たものに見えた。十年かけて太った木の、利夫さんがひと撫でして選んだ皮だ。私は指で表をなぞり、引っかかる厚みを探して、削いだ。山のことは、もう考えなかった。引っかかれば削る。引っかからなくなれば置く。手だけが動いていた。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。