核は強い。口にくわえた竹釘を舌で送り出して打つという身体技、原皮師との分業と「木は殺さない」十年で再生する皮、三十年から四十年で葺き替えるから自分の仕事の次を見られないという宿命。この三点は、ほかの誰にも書けない。問題は、書き手がその三点を信用しきれず、千年だの文化財だのの既製の権威で場面を底上げし、最後の段で全部を「いまの俺にしてくれた」と回収してしまっていることだ。職人の手つきを語るなら、手つきそのもので語れ。説明は手つきの敵だ。
「屋根に入ったあの年の、血の味のした口が、皮の重なりが、いまの俺をいまの俺にしてくれたのだと思う。今日も口の中には、竹釘が並んでいる。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「いまの俺をいまの俺にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、カラスマジンである必然がない。道具を静物画のように置いて締めるのも、余韻の偽装です。竹釘が口の中に並んでいる、という絵は強いのに、その前に主題を全部言葉にしてしまったので、絵が説明の挿絵に格下げされている。
「千年前から変わらない技法だと言われている。」「文化財の屋根を美しいと言うとき、人はたいていこの線を見ている。」
「千年前から変わらない」「文化財の美」は、伝統工芸を語るとき誰もが借りる安い権威です。二十八年現場にいる人間の口から先に出るのは、千年という年数ではなく、去年葺いたどの屋根の、どの軒の納まりが気に入らなかったか、のはずです。「人はたいていこの線を見ている」に至っては、観光客の視点を借りた一般論で、皮を留める当人の視点ではない。雰囲気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型。
「次に剥がすのは、たぶん私ではない。」「いまの俺をいまの俺にしてくれたのだと思う。」
竹釘を一本打ち損じれば屋根が漏る職人が、自分の仕事の話を「たぶん」「と思う」で濁すのは妙です。葺き替え周期は三十年から四十年と本文に断言で書けているのだから、次に剥がすのが自分でないことも当然断言できる。「たぶん」は人物の慎ましさではなく、断言を避ける作者の保険に見える。手で五千本のリズムを刻む人間の独白に、語尾の逃げは似合わない。
「皮を綴り合わせ、厚みの不揃いをそろえ、屋根に重ねやすい形に整える。」
整形の工程が、工程の名前の羅列で終わっています。「綴り合わせ」「そろえ」「整える」——どれも概念であって、手の記憶ではない。本当に整形をした手なら、皮の何を見て厚いと判断するのか、そろえるとき何で削ぐのか、綴るのは何でか、が一つでも出るはずです。「一センチ二分」という重ねの数字は具体的で良いのに、その数字を生む下ごしらえだけが抽象に逃げている。落差が、見ていないことを露呈させています。
「口に何十本も含んで、舌で一本ずつ先へ送り出し、出てきたところを左手で受け、その勢いのまま金槌で打つ。」
この一文がこのエッセイの心臓なのに、運用が映像になっていない。釘は頭から出るのか先から出るのか。左手で受けた釘を、いつ屋根に当て、いつ金槌が来るのか。「その勢いのまま」で工程を一つ飛ばしているので、速さの理屈が伝わらない。直後に「口の中が血の味でいっぱいになった」「舌の使い方を間違えると、釘の先が頬を刺す」という強い身体感覚があるだけに、肝心の送り出しが曖昧だと、痛みだけが先行して技が見えない。いちばん効く場所で、手つきが解像していません。
「線の正体は、何万本もの竹釘で留められた、何十枚もの皮の従順さである。」「私は皮を重ねる。次の誰かが、剥がして、また重ねる。」
前者は「正体は〜である」と、答え合わせを作者が書いてしまっている。軒の柔らかい線と、何十枚の皮と、何万本の竹釘は、すでに本文で別々に提示されている。読者が頭の中で結ぶべき線を、作者が先に結んでしまえば、発見は奪われる。後者の「私は皮を重ねる。次の誰かが、剥がして、また重ねる」は綺麗すぎる対句で、葺き替え周期の事実が持っていた淡々とした重みを、標語に変えてしまっている。
「最初はそれを寂しく思ったが、いつからか、そういうものだと淡々と受け取るようになった。」
この一文は、教師の回想にも、医者の回想にも、そのまま置ける。「いつからか」「淡々と受け取るようになった」は、心境変化の既製品です。いつ、どの屋根で、何を見て寂しさが抜けたのか——葺き替え現場で他人の留めた古い竹釘を抜いた手触りなど——を書かなければ、変化は起きていないのと同じ。汎用文は、人物のいちばん大事な変化をいちばん安く済ませてしまいます。
残すべきは三つ。口にくわえた竹釘を舌で送り、頬を刺す血の味とともに打つ身体技。原皮師が立木を殺さず、十年で再生する皮を剥いでくるという分業。三十年から四十年で葺き替えるから、自分の留めた屋根を剥がすのは自分ではない、という宿命。削るべきは、千年・文化財の権威づけ、留保語尾、整形工程の抽象、そして最終段の主題解説と「いまの俺にしてくれた」。改稿では、竹釘の送り出しを一動作ずつ解像させ、葺き替えは「他人の竹釘を抜く」具体に落とし、結びは説明せず竹釘の一本で終えてください。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。