カラスマジン(50歳・檜皮葺き職人28年)
檜の皮で屋根を葺いて二十八年になる。檜皮葺きという。立木から剥いだ檜の皮を整えて、屋根に何十枚も重ね、竹の釘で留める。社寺の屋根のあの柔らかい線は、この皮の層でできている。
竹釘は長さ三センチほどの細い釘で、頭はない。両端をとがらせてある。これを口にくわえて打つ。手で一本ずつ取るのではない。口に三十本ほど含み、舌で一本を唇の端へ送る。とがった先が唇から出たところを左手の親指と人差し指でつまみ、抜き取って屋根に立て、右手の金槌が下りる。立てると同時に、舌はもう次の一本を端へ送っている。打つ、つまむ、立てる、打つ。手と口が別々の拍を刻む。
一九九八年、二十二歳で社寺の屋根工事の会社に入った。最初の現場で親方に言われた。「竹釘は口にくわえろ。手で取るな。口から出して、その勢いで打つ。一日五千本、リズムだ」。最初の三日は口の中が血の味だった。舌の送りが浅いと、とがった先が頬の内側を刺す。それでも口で送るほうが手で取るより速いことは、四日目に、頬の傷が乾く前に体が覚えた。
皮は私たちが剥ぐのではない。原皮師という別の職人が山に入り、立木を殺さずに皮だけを剥いでくる。木は生かしておく。十年待てば皮はまた育つ。同じ木から、人の一生のうちに二度三度と皮が採れる。山と屋根は、最初から別の手に分かれている。私は剥がれてきた皮しか知らない。
剥いてきた皮は、そのままでは屋根に乗らない。整形という下ごしらえをする。皮を膝に当て、厚いところを竹の包丁で薄く削ぐ。指で表をなぞって、厚みが指に引っかかる場所を探す。引っかかれば削る。引っかからなくなれば置く。短い皮は、端を竹串で綴って一枚の長さにする。この手間を惜しんだ皮は、何十枚と重ねたとき、わずかな段が積もって屋根の線をうねらせる。
重ねは、一枚を前の一枚に一センチ二分だけずらして積む。たったそれだけのずれを、屋根いっぱいに、何十枚と。下から見上げれば一枚の屋根だが、軒先の小口を見れば、数十枚の皮が層になっている。雨はこの層の中で行き場を失う。一枚は指で裂ける薄さなのに、重なると水を通さない。そして軒の反りは、皮が柔らかいから出る。瓦では曲がらないところが、皮では曲がる。
檜皮葺きは三十年から四十年で葺き替える。私が留めた屋根を剥がすのは、私ではない。入って五年目、初めて葺き替えの現場に立った。古い皮を剥がすと、三十年前の竹釘が屋根板に何万本も残っていた。釘抜きで一本抜いた。先が屋根板の中で曲がっていた。誰かが、私と同じように口から送って、立てて、打った一本だ。その手のことは何も知らない。寂しいとは思わなかった。私の打つ釘も、いつか誰かが曲がった先のまま抜く。それだけのことだと、その釘を手のひらに乗せて思った。
二十八年、私は皮の重なりを見てきた。直した数も、打った釘の数も、もう数えない。口の中には、いつも竹釘が三十本ある。舌が、次の一本を端へ送る。