素屋根の、中(第二稿)
文化財の葺き替えに入った、数年の記録

カラスマジン(50歳・檜皮葺き職人28年)

三年前から、ある社寺の本殿の葺き替えに入っている。本殿は、いま素屋根の中にある。鉄パイプで本殿よりひと回り大きい箱を組み、その上に波板の屋根をかけ、本物の屋根を丸ごと覆ってしまう。外は雨でも、ここは降らない。雨を止めて、その下で何年もかけて葺き替える。屋根の上に、もう一枚屋根をかけた、その中に私は上がっている。

最初の仕事は、古い皮を剥がすことだった。上から一枚ずつ剥がしていくと、下から竹釘が出てくる。屋根板に何万本も残った、前の職人の釘だ。釘抜きで一本起こす。前の男は釘を寝かせ気味に、浅く打つ癖があった。私なら立ててもう一分深く入れる。浅いから、抜くとき先があっさり付いてきて、屋根板の中で曲がってもいない。会ったこともない誰かの、口から送って立てて打った癖が、傾きと深さに残っている。私はその浅さを覚えておいて、新しい釘は私の深さで打った。

皮を全部剥がすと、その下の野地板が出る。雨が回って傷んだ板がある。黒く湿った一枚を指で押すと、ふかりと沈んだ。私は大工を呼んで、「ここは替える。この左の三枚も、押すと底がない」と言った。葺き手が傷みの境を指で決め、大工が板を起こして新しいのを張る。張り終えた板の上に、私が皮を重ねていく。板が先、皮が後。順番が狂えば、新しい皮の下でまた板が腐る。

素屋根の中には、見学者の通路がある。仮設の廊下が屋根の脇を渡っていて、見物の人が上から私たちの手元を覗いていく。竹釘を口に三十本含み、舌で一本を唇の端へ送り、つまんで立て、金槌を下ろす。打つ、つまむ、立てる、打つ。子どもが「口に釘が入ってる」と声を上げても、舌はもう次の一本を端へ送っている。見られても、見られなくても、拍は同じだ。手が止まる理由は、視線の中にはない。

剥がす前に、私たちは屋根を測って図面に起こした。皮の重なりは一センチ二分でずれているか。竹釘は一寸間隔か。前の職人がどう打ったかを、寸法にして写し取る。今度は私の打ったぶんを、同じように測って図面に残す。次に屋根を開ける人——たぶん私はもういない——が、この紙を見て、なぜここで釘の間隔を詰めたのかを読めるように。前の男の浅い釘を私が一本ずつ読んだように、誰かが私の深さを読む。

監理の担当者が現場に来た日、軒の三枚目を指して「重なりが一分広い」と言った。下から見上げても分からない一分だ。私は黙って三枚を起こし、一分詰めて葺き直した。新築なら現場で済ませる詰め方を、ここでは一寸ずつ照らされる。窮屈ではあった。だが前の男の浅い釘が三十数年もったのは、誰かがこうして一分を見ていたからだとも思った。一分を直したぶん、その日は仕事が遅れた。

来年、素屋根が外れる。鉄パイプの箱が解かれ、波板が降ろされて、本殿の屋根が空の下に出る。私が三年かけて重ねた皮が、初めて本物の雨と日にあたる。私の打った釘は、屋根板の中で曲がりもせず、私の深さのまま立っている。何十年か先、誰かがそれを一本起こして、傾きと深さから私の手を読むだろう。私はその日を見ない。空の下に出た屋根を、下から一度だけ見上げて、私はこの現場を出る。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。