核は強い。傍線の濃さで苦手な単元が見えること、料理本の余白の「おいしかった」を消したあとで手が止まること、消す手と読んでしまう目とがちぐはぐになること、絵が上手いと余計に困ること。この具体は、この語り手にしか書けない。問題は、書き手がその具体を信用しきれず、雨と消しゴムの匂いで場面を立ち上げ、最終段で「書き込みもまた歴史なのだ」と全部を解説して回収してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、台帳の様式や消しゴムの使い分けという、せっかく仕込んだ職業の手つきを、肝心の場面に効かせていないこと。消す/残すの判断という主題は、感慨ではなく手の動作で運ぶべきだ。
「書き込みもまた、その本が生きてきた歴史なのだ。必死の傍線も、「おいしかった」の一言も、子どもの太陽も、ぜんぶ、本が誰かに読まれた証だった。」
主題の判子を自分で押して終わっています。「○○もまた、生きてきた歴史なのだ」「ぜんぶ、〜の証だった」は、デビュー作の「ぜんぶ、その本が愛された証なのだ」とまったく同じ型で、語り手の成長ではなく作者の手癖が露出しています。しかも本文ですでに「使われた証なのだ」と一度言っているのに、結びでもう一度言い直している。二度言うぶん、値打ちが半分になる。「ためらいながら動いている」という締めも、消しゴムの静物画で余韻を偽装する手口で、読者に渡すべき余白を作者が先に埋めています。
「窓の外には静かに雨が降っていて、作業室には消しゴムの匂いが満ちていた。」
雨、静けさ、匂い。「文学的な作業室」を安く調達する三点セットで、これはコウノアサコ評で叩いたのとまったく同じ装置です。十二年消しゴムを握ってきた人間がこの場面で本当に感じるのは、雨ではなく、練り消しが古紙の繊維を引っぱる手応えか、消しかすが指の脂で丸まる感触のはずです。冒頭の「静かな作業室の窓辺で」も同罪。雰囲気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型です。
「消すというのも、力の加減のいる仕事なのだと思う。」「これを汚損と呼んでいいのか、手が迷ってしまうのかもしれない。」「使われた証なのだと思う。」
消しゴムを三種類使い分け、紙を指でなでて力加減を決める——そう書いた人物が、肝心のところで「〜と思う」「〜かもしれない」と逃げています。とくに「手が迷ってしまうのかもしれない」が致命的で、迷ったのは作中の自分の手なのだから、ここは観察ではなく事実です。「迷った」と書けばいい。「かもしれない」は、断言を避ける作者の保険であって、現場で紙の力加減を断定してきた語り手の声ではありません。前二作の第二稿が留保を削って強くなったのに、ここで逆走しています。
「○○ページ欄外、青ボールペン、書き込みあり」/「感想は書かない。書いてはいけない。」
台帳の様式をわざわざ宣言したのに、クライマックスで使っていません。料理本の「おいしかった」も、最後のページの感想も、規則上は台帳に「鉛筆、書き込みあり」と一行で記録して消すはずです。語り手が揺れる瞬間を書きたいなら、効くのはここです——「おいしかった」を消したあと、台帳の様式どおりに書こうとして、様式にない一語を書きかけて消す、というような手の動作。宣言した装置を、いちばん効く場面で遊ばせている。コウノ評の「道具の運用」と同じ穴です。
「点字本のページの折れもそうだ。指で読む人の折り跡は、目で読む人のものとは違う場所につく。」
「違う場所につく」は概念であって観察ではない。実際に点字本を扱った人間なら、折れがどこにつくか一語で出るはずです(読み終わりの右下が三角に折れている、ページを送る左上が反っている、等)。同じく「砂消しは紙が薄くなる」は正しいが、では薄くなった紙の手応えはどうか——透けるのか、毛羽立つのか。具体が一段浅い。題材として挙げた小口の黒さも、「手垢の黒さ」で止まっていて、黒さの質(つやのある黒か、粉っぽい黒か)まで降りていません。
「書き込みも、折れも、汚れも、本がそれだけ使われた証なのだと思う。」
第八カードの結びです。これを言ってしまうと、続く第九カードの主題解説と完全に重複し、しかも辞書・点字本という具体の余韻を、抽象の総括で上書きしてしまう。小口の黒さで止めておけば、読者が自分で「使われた証」に到達できたのに、作者が先回りして言葉にしている。前作「破れた、ページ」第二稿が「覚えているのは、傷みのほうだ。焦げたテープ。半円の歯型。三十七ページの油の染み。」と具体の列挙で閉じて成功したのを思い出してください。総括ではなく、物で閉じる。
「私はそれを消した。規則だから消した。」「会ったこともないその子のことを、すこし考えてしまう。」
「規則だから消した」は強い反復に見えて、実は中身がない。どう消したか(練り消しか、プラスチックか、何往復で消えたか)を書けば、同じ「規則だから」がまるで違う重さになります。「すこし考えてしまう」も、考えた中身(自分の受験を思い出したのか、その子が受かったか案じたのか)がなければ、教師の回想にも親の回想にもそのまま置ける汎用文です。人物の思考は、中身を書いて初めて存在します。
残すべきは四つ。傍線の濃さが同じ単元に集まること、料理本の「おいしかった」を消したあとに止まる手、消す手と勝手に字を追う目のちぐはぐ、絵が上手いほど困るという逆説。削るべきは、雨と消しゴムの匂いの書き割り、「〜と思う/かもしれない」の留保語尾、第九カードの主題解説、そして本文と結びの二重の「使われた証」。改稿では、台帳の様式を「おいしかった」の場面で実際に動かし(様式にない一語を書きかけて消す、等)、点字本と小口は「違う場所」「黒さ」で止めず、折れの位置と黒の質を一語ずつ降ろしてください。そして物で閉じる。意味は、消した線とその往復回数が運ぶ。総括が運ぶのではない。