カタギリスズ(39歳・図書館の資料修理係12年)
図書館の本への書き込みは汚損で、消すのも私の仕事だ。鉛筆は消す。ボールペンは消えないから、台帳に記録だけ残す。消しゴムは三種類。古い紙には練り消し、しっかりした紙の濃い線にはプラスチック、削るしかないときだけ砂消し。紙を指でなでて、繊維の弱り方で選ぶ。砂消しを当てた紙は、あとで光に透かすと、そこだけ薄く透ける。
ボールペンは台帳に書く。様式は決まっている。「四十二ページ欄外、青ボールペン、書き込みあり、本文への影響なし」。インクの色、ページ、本文に掛かるか。それだけだ。感想の欄はない。台帳は、誰がどう読んだかの記録ではなく、本がどう汚れたかの記録だからだ。
受験参考書の傍線は、濃さで分かる。何度もなぞって赤が紙にめり込み、裏まで凹んでいるところと、一度すっと引いた薄いところ。濃い線は同じ単元に固まっている。化学の、酸化還元のところだった。私はプラスチック消しゴムで、濃いほうから消した。一往復では落ちない。三、四往復して、赤が灰色になり、最後に紙の白が出る。落ちた線の幅だけ、紙の表面がわずかに毛羽立つ。その子が苦手だった四ページが、消し終わると、ほかより少しだけ白かった。
料理本の余白に、鉛筆で「おいしかった」とあった。豚の角煮のページ。丸い字だった。私は練り消しを当てた。古い本だったから練り消しにした。字は二往復で消えた。消したあと、台帳を引き寄せて、様式どおり書こうとした。「四十一ページ余白、鉛筆、書き込みあり」。そこまで書いて、ペンが止まった。「おいし」と書きかけて、線を引いて消した。台帳に、消した本の感想を書く欄はない。
絵本の落書きは消えない。クレヨンは消しゴムでこすれず、水でも溶けない。先日の一冊は、最後のページに太陽が一つ。黄のクレヨンで、外側を橙でなぞってあって、光の筋が十二本、長さを変えて伸びていた。四、五歳の手ではない引き方だった。上手いと、困る。下手なら台帳に「クレヨン、落書き、除去不可」と書いて閉じられるのに、この太陽は、書く前に一度、指で光の筋をなぞってしまった。
小説の最後のページに、鉛筆で小さく感想が書いてあったこともある。消すあいだ、内容は読まないと決めている。読むと消せなくなる。それでも目は字を追う。「この人は」まで読んで、私は目を伏せ、手だけ動かした。消す手は鉛筆の黒を追い、目は意味を追い、二つが別々の速さで進む。消し終わったページは白く、私は誰が何を思ったのか、半分だけ知って、半分で止めた。
点字本は、読み終わりの右下が三角に折れる。指で送る人の癖だ。目で読む人は折らない。折り目を裏から指で押し戻すと、紙は戻るが、折れた線は白く残る。辞書の小口は、よく引く人のほど黒い。引きしなに親指が擦る端から、つやのない、粉っぽい黒になっていく。あ行とた行のあたりが、いちばん黒い。
十二年で消した線は、数え切れない。消したものは覚えていない。覚えているのは、消す前に手が止まったほうだ。三、四往復して白くなった酸化還元の四ページ。台帳に書きかけて消した「おいし」。光の筋が十二本の太陽。「この人は」で止めた目。消しゴムは、白い顔をして、それを知らない。