素材は前作より強い。実をならせない剪定、品種を守る木札と台帳、ウイルス検査と隔離、冬に枝を採って冷蔵する手順、育成者権の契約。どれも「接ぎ手の手より前に苗の質が決まっている」という一点に効く具体だ。問題は、その具体を信用しきれず、「母なる木」という安い叙情で包み、最終段で主題を全部言い直して自分を赦してしまっていること。接ぎ木職人を語り手に立てたのに、肝心の枝を選ぶ場面で手が動いていない。職業エッセイは、職業の手つきが止まると一気に嘘になる。
「結局のところ、親木が苗の全てなのだ。」「北のはずれの、実のならない畑。そこに静かに立つ数十本の木が、何万本の命の源だった。母樹園の朝の光を、私はいまも忘れない。」
エッセイの主題を、最終段で主題文として直叙してしまっている。「親木が苗の全てなのだ」は、前作の「切り口の観察者になった」とまったく同じ判子です。読者が八枚かけて自分で気づくべきことを、作者が先回りして要約した。「朝の光を忘れない」に至っては前作の「朝の光を静かに返している」の使い回しで、署名のように貼られた余韻の偽装。数十本/何万本の対比は事実そのものが強いのだから、数字だけ置いて黙るべきです。
「穂木を出す木を、私たちは母樹と呼ぶ。母なる木、とでも言うように。命を継ぐ苗の、そのまた大本に、母なる木の畑がある。」
「母樹」は実在の業界語だが、「母なる木」への言い換えは作者の脚色です。現場の職人は母樹を「母なる木」とは呼ばない。呼べば湿っぽくて作業にならない。この言い換えで、生産の畑が一気に童話の挿絵になりました。最終段の「母なる木が用意したもの」まで一本の安い糸が通っていて、これは生成文が好む「身近な語をやさしい比喩に開いてみせる」癖そのもの。母樹は母樹のまま、囲いと木札と検査の対象として置けばいい。
「これがいちばん地味で、いちばん効く仕事なのかもしれない。」「ただ次へ渡しているにすぎないのかもしれない。」「その『たぶん』が、職人と素人の違いなのかもしれない。」
十六年やった職人の回想が「かもしれない」で逃げている。前作のレビューでも同じことを言ったはずです。ウイルス検査がいちばん効くと知っているなら「効く」と言い切ればいい。「すぎないのかもしれない」は謙遜の振りをした作者の保険で、語り手の確信を薄める。とくに最後の「すぎない」は、それ自体が主題の言い換え(=自己赦し)なので、断定にしても削っても、どちらかにすべきです。
「芽がよく詰まって、太さに張りのある枝。手に取って、しなりを確かめ、芽の数を見る。(…)その目の動きを、私はしばらく見ていた。」
この稿でいちばん惜しい場所。穂木の選別は本来この語り手の独壇場のはずなのに、「目の動きを見ていた」と他人事で済ませている。前作では自分の手が段になり、切り口が黒くなった——失敗が自分の形をしていた。ここでも、選ばれずに落とされた枝を一本、具体に書くべきです(たとえば「芽の間が伸びすぎた一本を、職人は見もせず足元に落とした」)。良い枝の一般的特徴を並べるのは観察ではなくカタログで、「張りのある枝」は誰でも書ける。
「春を待っている枝たち。眠っている、と言ってしまえばそれまでだが、私にはその束が、出番を待つ役者のようにも見えた。」
冷蔵庫に品種ごとに番号で並ぶ枝の束——これは事実だけで十分に異様で、十分に美しい。そこへ「役者のよう」と見立てを足した瞬間、現場の冷蔵庫が舞台の比喩に化け、温度も湿った布も消えます。「眠っている、と言ってしまえばそれまで」と自分でメタに逃げているのも悪い癖で、書き手が素材を信じていない証拠。布の湿り、庫内の温度、束を縛る番号札——物だけ書けば、眠りも出番も読者が勝手に思う。
「枝を一本採って継ぐ、その単純な動作の背後に、紙の契約があるのだった。」「苗の品質は、ここで決まっていた。継ぐ手より、ずっと前に。」
育成者権のくだりは、契約番号が台帳に書き込まれるという事実が出た時点で読者に伝わっている。「紙の契約があるのだった」と地の文でまとめ直すのは蛇足。次の段の「継ぐ手より、ずっと前に」も、これ自体は良いリズムだが、その直後の最終段でもう一度同じことを言うので、二度言って値打ちを下げています。主題に効く一文は、一回だけ置く。
「私はそれを聞いて、自分の手の中の枝が、急に重たくなったような気がした。」
「急に重たくなったような気がした」は、相続の話にも、借金の話にも、そのまま置ける万能の心理描写です。育成者権を知って何が変わったのか——次に枝を採るとき台帳の契約番号を二度見るようになった、とか、許諾本数を超えないよう採る本数を数えるようになった、とか、動作で書けば人物が立つ。重さは比喩ではなく、手の動作の変化で出すべきです。
残すべきは五つ。実をならせない剪定、品種を守る木札と台帳、ウイルス検査と隔離、冬に採って冷蔵する休眠枝、育成者権の契約番号。削るべきは、「母なる木」の言い換え、留保語尾、役者の見立て、最終段の主題解説と「朝の光」。改稿では、枝の選別を語り手自身の手と目で書き直し(落とされた一本を具体に)、育成者権は「契約番号を二度見るようになった」という動作で運んでください。数十本が何万本の母である事実は、数字だけ置いて黙れば立つ。意味は説明ではなく、物と動作が運ぶ。