親木の、畑
何万本の苗の母は、畑の数十本である

カトリシズク(38歳・果樹苗の接ぎ木職人16年)

接ぎ木に使う穂木は、親木から採る。台木に継ぐ枝のことだ。私は十六年、その枝を継いできたが、枝を採られる側の畑のことは、長く知らずにいた。穂木を出す木を、私たちは母樹と呼ぶ。母なる木、とでも言うように。命を継ぐ苗の、そのまた大本に、母なる木の畑がある。

母樹園は、農場の北のはずれにある。苗を売る畑とは別にして、囲ってある。初めて連れて行かれたとき、私は意外に思った。果樹なのに、実がほとんどなっていなかったのだ。「ここは実を採る畑じゃない。枝を採る畑だ」と、母樹を見る年配の職人が言った。実をならせると、木は実に力を使ってしまう。だから蕾のうちに摘み、ならせない。枝だけを、充実させるために。実をならせないための剪定、というものが、世の中にはあるのだった。

一本ごとに、木札が下がっている。品種名と、系統の番号と、植えた年。畑には台帳があって、どの木がどの母樹から来たかが、何代も遡れるように書いてある。「この木が本当にその品種だ、という証明だ」と職人は言った。果物の品種は、見た目では確かめにくい。実をならせない畑では、なおさらだ。だから紙で守る。木札と台帳。それが品種の、唯一の身分証なのだと思う。一文字でも取り違えれば、何万本の苗が、別の名前で世に出てしまう。

母樹には、見えない仕事がついて回る。ウイルスだ。果樹のウイルスは、実をならせても、すぐには枯れない。だが穂木を通して、継いだ先の何万本に移っていく。だから母樹は、検査を受ける。葉や枝を採って調べ、ウイルスがないと確かめられた木だけが、穂木を出す資格を持つ。新しく入れた木は、しばらく別の区画に隔離して、ようすを見る。「病気のない木を、病気のないまま保つ」。簡単そうに聞こえて、これがいちばん地味で、いちばん効く仕事なのかもしれない。

穂木を採るのは、冬だ。木が休んでいる時期。職人は、その年に伸びた枝——一年枝という——の中から、よく充実したものを選ぶ。徒長して間延びした枝でも、弱々しい枝でもない。芽がよく詰まって、太さに張りのある枝。手に取って、しなりを確かめ、芽の数を見る。何百本の枝の中から、継ぐに足るものだけを残していく。その目の動きを、私はしばらく見ていた。私が継ぐずっと前に、もう選別は始まっていたのだ。

採った穂木は、すぐには使わない。湿らせた布や砂で包み、冷蔵庫に入れる。低温で、春まで眠らせておくのだ。継ぐのは春先だが、枝は冬のうちに採っておく方がいい。木が動き出す前の、休眠した枝でなければ、うまく活着しないからだ。冷蔵庫を開けると、番号を書いた枝の束が、品種ごとに並んでいる。春を待っている枝たち。眠っている、と言ってしまえばそれまでだが、私にはその束が、出番を待つ役者のようにも見えた。

もう一つ、知らなかったことがある。品種には、勝手に増やせないものがある。育成者権という権利だ。新しい品種を育てた人には、それを増やすことを許す権利がある。だから農場は、そういう品種を扱うとき、許諾の契約を結ぶ。何本まで、どこに出してよいか。台帳には、品種だけでなく、その契約の番号も書き込まれる。枝を一本採って継ぐ、その単純な動作の背後に、紙の契約があるのだった。私はそれを聞いて、自分の手の中の枝が、急に重たくなったような気がした。

母樹園には、数十本しか木がない。けれどその数十本から、何万本もの苗が出ていく。私が農場で継いでいた苗の、ほとんどすべての母が、この囲いの中にいた。実をならせない木、木札を下げた木、検査を受け、冷蔵庫で春を待つ枝を出す木。苗の品質は、ここで決まっていた。継ぐ手より、ずっと前に。

結局のところ、親木が苗の全てなのだ。私はずっと、切り口を合わせる自分の手こそが苗を作っていると思っていた。けれど本当は、品種も、健やかさも、枝の充実も、すべてこの畑が決めていた。私たち接ぎ手は、母なる木が用意したものを、ただ次へ渡しているにすぎないのかもしれない。北のはずれの、実のならない畑。そこに静かに立つ数十本の木が、何万本の命の源だった。母樹園の朝の光を、私はいまも忘れない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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